黄昏シリーズ

黄昏の園

 ←第五話あとがき →始末屋の受難
 
 夢の中で私は走っていた。何処かもわからないような暗い中を走り続けていた。夢の中で走っている私は何者からか逃れようとしているらしい。誰から逃げたいのだろう。どうして逃げ出したいのだろう。どうして私はこんなに必死なのだろう。そう思いつつも夢の中の私は止まることはなかった。そして突然何かの衝撃とめまいに襲われ、夢は途切れた。目が覚めたのはそれとほぼ同時のことだった。


黄昏の園〰The Garden of Twilight〰



(2009年製作・文芸部誌「Dolce」収録作品 2013年修正及び再編集)


(…ここはどこだろう…。)

 眩しい。木の枝から零れる日の光と、寝ぼけた頭に心地よい花の香り。

 目覚めた私の目に真っ先に飛び込んできたのは、見慣れぬ部屋の景色だった。
起き上がってその部屋を歩いてみる。振り返ると私が寝ていた寝台があった。驚くことに天蓋付きである。他の調度品も上品な色合いで、まるでどこかヨーロッパのお城の一室みたいだな、と私は呟いた。
 少し離れた所にかかった壁鏡をのぞき込むと一人の少女が写った。黒い髪をボーイッシュなショートカットにした、歳は十六、七あたりといった女の子である。恐らくこれが〝私〟なのだろう。そう思いつつも実感が湧かず私は鏡の自分を見つめてみる。
(未だ夢でも見てるんだろうか。)
 ならばこうして起きている以上目覚めなければ。
 だがなぜかしっかり見ようとする度、に立ち眩みにも似た頭痛に襲われ、私は後ずさりして元のベッドの上に座り込んだ。
 おかしい。何がおかしいのかは漠然としすぎていてわからないが、どうやら私は今正常な状態ではないらしい。けれど体の調子が悪いとか、病気的なものではなさそうだ。ならこの違和感は一体―
「お目覚めみたいやな。」
 我に返り、声の方へ目をやると開いたドアのそばに立っている一人の男と目が合った。若い、柔らかな雰囲気をまとった男。一見悪人には見えないが、状況が全く分からない。どうしていいか分からず硬直する私を、 気にも留めずにその男は続ける。
「焦ったんやでー丸一日中目ェ覚まさへんかったし。」
 手渡されたハーブティーらしき飲み物を受けとりつつも、私は状況を把握できずにたずねた。
「あの、私は一体…。」
「なんか知らんけど、うちの物干しざおに引っかかっとってん。」
「……。」
 …冗談だよな。からかわれているんだろうか。そう思って半眼を向けると、男は「じょーだんよ~。」と言ってひらひらと手を振った。
「近所で倒れてんのを見て連れてきたんよ。目立ったケガも無いし病気しているよーにも見えんかったけど。」
 放っとけんかったから、と男は言った。どうやら助けてくれた人物のようだが、何があってこの状況に至るのかという記憶が全く思い出せない。いや、思い出せないというより、頭からぽっかり消えてしまっていると言うべきか…。
「名前は?」
「へ!?」
 不意に名前を聞かれとまどう。
「とりあえず親御さんには連絡せなあかんやろー。俺も面倒なことに巻き込まれたないし。」
「…名前…。」
 どうしよう、答えようがない。
 ここで私は初めて、自分自身に感じる違和感の原因を把握した。
「…すいません…思い出せません。」
 そうだ。何もわからないのだ。自分がなぜここにいるのか、何をしてきたのか、自分が何者なのかすら。
 記憶喪失。その言葉に行きつくまで、そう時間はかからなかった。
 だからいくら訊かれたところで答えられない。申し訳ないが私自身にもこれ以外なすすべがないのだ。そう思った途端湧き上がるどうしようもない喪失感に、力なく私はベッドにへたり込みうなだれる。男はきょとんとしてそんな私を見つめた。無理もない。それが普通の反応だ。
「あぁー…そう。」
 それに対する相手の応答はいまいち希薄なものだった。それとも今のは、子供の戯言として流されたんだろうか…。だが、
「記憶喪失、か。」
 先程とは打って変わった落ちついた声に少しどきっとする。
「どうやらしょっぱなから面倒事に首つっ込んでもーたらしいわ。」
が、男はまたもとの、のほほんとした調子に戻って力無く笑った。
「なんならしゃーない。身元探すのに時間かかるかもしれんけどその間この家に居たらええ。何があったか知らんけどご丁寧に荷物までまとめて来たみたいやし。さては家出か?」
 男の指さす方には大きなかばんがあった。何も触ってへんからご安心を、とそれを渡された。歳からして学生だろうから学生証くらいは入っているかもしれない。むやみに中を見ないようにという心配りだろう。男は部屋から立ち去ろうとしたが、何か思い出したように立ち止まった。
「言い忘れてたけどここは神戸の洋館や。この家はそん中でも誰も気にせんよーなすみっこにある館やな。で、俺はカイ、呼び捨てでええで。てことでよろしくな、行き倒れ少年。」
 くるりと向き直って男は笑った。穏やかそうな笑顔に悪意は見当たらない。私は言葉通りしばらく住まわせてもらうことに決めてたが、何か引っかかるものがある。
「私…少年に見えます?」
「…へ!?」
 今度は男が硬直する番だった。

    * **

 かくして私の神戸での生活が始まった。かばんの中には学生証はおろか、今時珍しくケータイすら入っておらず、結局所持品から身元を洗い出す事は不可能となった。ただ着ていた上着に〝Rio′R〟というイニシャルが入っていたため、私はリオと呼ばれることとなった。その上着も着慣れた感覚だったので恐らくその名前には違いないだろう。
 館の一部屋を与えられてもらい過ごすうち、初めはとまどいの連続だった私も落ちついて周囲観察するようになった。男――カイの話によるとこの洋館は遠い親戚のもので、押しつけられる形で貰ったそうだ。おかげで相続税をガッポリとられたと、カイは嘆いていた。
 だがそれほど生活に困っている様子はなく、かといってそれほどお金持ちな生活をしているようでもない。彼から貴族的な近寄り難さは微塵も感じられなかった。城を手に入れながらもつつましく暮らしている、といった風だ。それでも仕事は何をしているかは不明だ。
 ノートパソコンとたくさんの本がひしめいている部屋があったのでモノ書き等の仕事をしているだろうと推測された。どこかで事務の仕事でもしているのかとも考えたがカイは出勤というものをしない。早朝に散歩をして私が起きた頃に戻ってきて、共同で朝食を作ってとる。
 その後はそれぞれ家事などをしたり、庭の植物達の世話をしたりする。あるいは日のあたる窓辺で居眠りをしていたりする。
 良く言えば穏やかで癒し系の世捨人。悪く言えばやることなすこと老けた変な人。午後は書斎で何かの仕事をし、はかどらないらしき時は私と茶でも飲みながら世間話をする。その時に私は記憶を失う以前の出来事を知ったりするのである。そして一日一回は必ず別の部屋にこもる。何をしているかは不明だ。
 カイはそれほど人目を引くようなタイプではないが、確実に美形の部類に入る。にもかかわらず言い寄ってくる女性もいなければ、すでに恋人がいるわけでもなさそうだ。先に言ったようなつかみ所なさが原因しているのだろうか。だが引きこもりがちというわけでもなく、そこそこ人付き合いくらいはあるらしい。ただ地元民より観光客の方が多く出歩くこのあたりでは、尋ねてくる人といえば、多くが道に迷った観光客である。
 一方私はカイがおこもりモードに入った時は庭や近所を見て回ることにしている。そこそこ広さのある庭は緑の宝庫だ。バラだのスズランだのジンチョウゲだの、本来人の手で丁寧に育てられるはずの植物がほぼ野生化した状態で好き勝手に茂り、ちょっとした森状態である。それでも見苦しくのさばるような生え方はせず、各々の縄張りにきちんと納まっている。
 動物を飼うと飼い主(と書いてボスと読む)に似るというが、それは植物にもあてまるらしい。だが裏庭の柵には棘が有刺鉄線の如く複雑にからんでいて周囲を威嚇していた。防犯対策は万全らしい。
 神戸の街はおしゃれで魅力的だが起伏が多く、その上私はその地理に明るくないため、私の行動範囲は洋館街周辺に限られていた。

  ***

 そんなある日のこと、カイが突然港の方に行こうと言い出した。
「折角神戸におるんやもん。ちょっとは観光せなおもろないやん。」
、ということで私達は次の朝、にぎやかな神戸の町へと繰り出した。私にとってもご近所となってしまった洋館街を出て坂を下り、人の多い通りに沿って、周りを見物しながら海の方へと向かう。
 途中でバス等に乗ったりもしたが、神戸はやたらと坂が多い。こんな起伏の多い地を逃げ回っていた私も、相当タフだが…いや待て。
(…なんで〝逃げ回っていた〟なんて思ったんだろう。)
 実際に何かから逃げていて、その記憶だけがうっすらと残っていたのだろうか。私は一体、以前何をしたんだろう。…深く考えるのはよそう。
 少なくとも、今考え込むべきことではなさそうだ。というかそれよりも気にかかる事態に、私達は直面してしまった。
「…もしかしてリオも気付いてたりする?」
「やっぱりカイさんもそう思います?」
 南京町あたりから、明らかに私達を尾行してくる人物がいる。黒髪に黒いコート。中の服なども黒ずくめ。
 それだけでも妙に目立つというのに、さらに黒いグラサンまで装備している。つけているアクセと腕時計は、かろうじて明るい配色だったが、それでも異様にギラつく金色だった。
 いかにも「ワタシ怪しいんです!」ってな感じの男が、私達をずっと尾行してくるわけである。
「知ってる人だったりしませんよね?」
 まさかとは思うが一応たずねてみた。ファッション系統こそかけ離れているが、一見カイとは同世代の人物と推測できたからだ。が、
「んなわけないやろ…。」
 予想通りの返答が帰ってきた。そんな会話が交わされておるのを、知ってか知らずか、ついにその黒ずくめの男は私達に話しかけてきた。
「失礼。ちょっと訊きたいことがあるんですけどぉ…。」
 言葉の感じから、ここ関西の人間ではなさそうだ。そしてその雰囲気から、普通の職の人間でもなさそうだ。加えていざ近くで見ると結構な若作りであることが、その胡散臭さと威圧感に拍車をかけている。
 人目の多い海側のベンチにも拘わらず、その男は堂々と近づいてきたのだ。
 認めたくはないが、先程買った自販機のココアが器の中で揺れたのを感じた。
「何ですか?訊きたいことって。」
沈黙を破ったのはカイだ。口調はさほど普通と変わらない。だが明らかに不審そうな眼差しを、黒い男へと注いでいた。
 まあそれが普通の反応か。ガラの悪そうな兄ちゃんに話しかけられた程度で身構えてしまう私は、案外小心者何かもしれない。
「いやー、大したことじゃないんだけど、ちょっと人探ししてましてねー。」
 こちらの視線を歯牙にもかけずといった風情で、軽く笑いながら黒ずくめは続ける。こいつが変に目立つせいか、人々の目はほとんど私達に向いているようだ。
(やばい。めっちゃ帰りたくなってきた。)
 沈黙する私の傍らでは、カイが淡々と黒ずくめの相手をしていた。
「人探し?」
「そー。最近子のあたりでこんな女の子見かけません?歳は十六くらい、身長百六十センチいくかいかないか程度、顔は――そう、そこのお嬢さんにそっくりなんだよねぇ…。」
 そう言って黒ずくめは私の方をのぞき込んできた。グラサンの奥の目が得物を狙う猫のように細められる。私は気まずくなって肩をすくめた。その話からすると、この男が探しているのは明らかに私だ。
 だが私はこの男に全く見覚えはないし、(記憶喪失なので当然だが)仮に私が行方不明になっていて、この男が探していてくれたとしても、あっさりと事情を打ち明ける気になどなれない。
 何かと理由をつけて、このまま連れて行かれることになったらどうしよう。なぜかそれだけは絶対に防ぎたかった。
「ああ、コイツ?」
 カイも私のほうへ目を向けた。そして少しの間――本当にほんの一瞬だったが――何かを思案して、すぐ黒ずくめにこう返した。
「こいつは俺の弟ですよ。」
 …一瞬我が耳を疑った。
「まあ顔立ちからよく女の子に間違われたりもするんですけどね~。」
 そう言いながら男に分からないようにカイは目くばせした。どうやら助け舟を出してくれるようだ。内容が気にくわんが。黒ずくめの男は呆気に取られてこちらを見つめたが、すぐ気を取り直したように笑った。
「あー…すんませんね、あまりにもウリ二つだったもんだから~…もしかしてと思ったんですけどねぇ。やっぱ人違いか。」
 あぁ、気にしないで下さいね~私用だから。そう言って、中途半端な長さの髪を揺らしながら、男は去っていった。それを見送りながら、私は気が抜けたように、溜め息をついた。
 カイも疲れた表情を浮かべ、ベンチにもたれかかった。
「あの人…ヤクザかなぁ…。」
「いや、ペテン師かもしれん。」  
 そんな少しの失礼な会話の後、私はカイに、何故あの時ごまかしてくれたのかを聞いた。
「あの人、明らかに私の事を探してるように見えたんですけど…よかったんですかウソついちゃって。」
「まあそれは確かにせやねぇ。」
 カイは少し笑っていった。
「でも前からの知り合いやなさそうやったからな。もしそうなら、あんな前置きは無しにリオ本人に話しかけてくるハズやし。ええ方に考えても、家出娘捜索中の探偵ってとこやろうな。」
 あの一瞬でそう判断したカイに感服しつつも、カイが私の身柄を引き渡さなかったことに安堵した。うまく庇ってくれてありがとうとか、身元が分かる可能性を捨ててしまってこのまま迷惑かけていいのかとか、いろいろと聞きたいことや言いたい事はあった。でもこの後私達は、すぐにその場から退却して移動を再開したため、それは叶わなかった。
(〝ありがとう〟だけでも帰ったら言わなきゃな…。)
それにしても、あの男は何者だったのだろう、そう言う不安が微かに残った。

  ***

「…見つけてきたぜ、例の嬢ちゃん。」
「まァーたその格好で単身うろついたのか。」
「いーじゃねェの、こっちの方がやりやすいんだよ。ほれ、写真も撮ってきた。」
「どーせ隠し撮りだろ悪趣味な…確かに本人だな。髪型と服装がだいぶ変わってるが。だが隣の人物は?」
「その〝弟〟君の〝兄貴〟だってさ。そういう建前でこの子を匿ってるんだろう。けどコイツのことなら多少だが知っている。もっともコイツは俺のこと、全く知らねえだろうけどな。にしても、奴め何を考えている…。」
「危険人物なのか?」
「柊クーン…このお仕事やってる限り、不必要に首突っ込むやつは、誰でも危険人物だよ~…まあそれなりにヤバイやつだってことは確かだ。」
「じゃあ今度は俺がそいつの家に行く。お前は今日会ってて面が割れてる。それ以前に、何しでかすかわからん。」
「ちょっとそれはひどくない?大丈夫だよ、俺が何とかするから。てゆーか、お前やつの居所知らないじゃん。だから引き続き、見張りの方頼むわ。」
「自分の興味の向く方に行きたいだけだろ…でもどうする気だ?」
「簡単だよ、お嬢さん一人の時を狙って、話つければいい。早速明日にでも行ってみるか。」

   ***

 次の日は少し曇っていた。今にも雨が降りそう、というほどではないが、昼間でも太陽は眩しくなかった。頼まれた買い物任務を確実に遂行し、帰路についていた私は足を速めた。
 こんな日の方が紫外線に注意した方が良いらしい。それを考慮してか、カイは私に少し大きめの帽子を貸してくれた。私はそれを目深にかぶって歩いていると、近くの公園にさしかかった。
 この公園を通り抜けるのが近道だ。あの屋敷に来てからよく使うルートなのだが、今日はいつもと様子が違う。公園の中心あたりまで来て気付いたのだが、一人も人がいない。ベンチで話している人の声も子供達が走り回って遊ぶ声もなく、辺りには中央の噴水の音だけが響いていた。
 嵐の前の静けさのような、異様な静寂だけがこの公園の中にはびこっている。
少し無気味に思ったが、今更引き返して出るわけにもいかず、このままつっきろうと私は歩調を速めた。どうせ出口は目の前だ。何事もなくこの静寂から脱出したい。
 だがそれは叶わなかった。出口まであと十歩足らずという所で、茂みから出てきた数人に囲まれてしまったのだ。皆、黒い背広とサングラスの屈強そうな男ばかりだ。
 何がなんだか分からない。逃げ出したいと強く思ったが、足が震えて、私はその場に立ちすくんでしまった。叫んで助けを呼ぼうにも声が出ない。
「やっと見つけたぜ小娘が…。」
リーダー格らしき一人が私の前に立ちはだかった。私は後ずさりしたが、背後も塞がれた気配を感じた。
「今まで油断して散々してやられたが今回は、今回はそうはいかねぇ。こっちも其れなりの人数で出向かせてもらった。いい加減おとなしく捕まってもらおうか。」
前にも接触があったというのか。その時はうまく切り抜けたらしいが、今回はそうもいきそうにない。何しろ以前の記憶はどこかへ飛んでしまっている。その脱出法を思い出せるはずもなかった。
 だからといって今捕まることは許されない。なぜかそんな気がした。だが黒服の男達は私を囲んだ輪を、容赦なく縮めてくる。万事休すか。そう思って目を閉じた時、私を囲んでいた一人が間抜けな悲鳴をあげて倒れた。私を含め、その場の全員がそちらを向くと、そこには見知らぬ男が立っている。黒服達は一瞬驚いたが、すぐその男に対し身構えた。
 同時に私のことも捕まえようと手を伸ばす。だがそれよりも速く、その男はワイヤーのようなもので黒服達をなぎ倒し、素早く私の目の前に滑り込んだ。
「大丈夫か少年!?」
 振り向きざまに男は私に問いかけた。なんというか派手な出で立ちの男だ。濃い金髪の毛先だけを黒くして、後ろの一房だけを長く伸ばして束ねている。橙色のコートの上からくすんだ緋色のスカーフを巻きつけ、その下のVネックの間には金色のチェーンが見え隠れしていた。チャラ男という表現が一番適していると思われる。
「…にしてもなんでヤーさんが、イタイケな子供を寄ってたかっていじめてんねん。」
vまた起き上がってこちらをにらみつける黒服達は、今度は皆武器を手にしている。それを見て、チャラ男の方も手の中の小型の機械の目盛りを上げた。その機械から伸びたワイヤーが、さっきよりも強い光を発し、バチバチという音を立てた。リーダー格の男が怒鳴る。
「貴様…何者だ!!」
 その問いにチャラ男は少し笑った後.自信に満ちた表情で言い放った。
「通りすがりの男前や!!」
 かくして乱闘が始まった。

「キミ、危ないかどっか隠れといてー!」
 チャラ男にそう指示され、とりあえず私は近くの茂みに飛び込んだ。追いすがってくる者もいたが、皆追いつくよりも早くワイヤーからの一撃をくらってのびていた。どうやらあのワイヤーには電気が流れているようだ。この日本で武器を持つ人間は、あまり一般市民とは言い難い。ましてや電撃ワイヤーを操る者などかなり特殊な存在ではないか。
 だがこの状況を見る限り、こちらの味方には違いない。茂みに隠れてあれこれと観察していると、黒服のうち二人がすぐ側までやってきた。必死に息を殺していると、会話が聞こえてきた。
「だから生け捕りじゃなくて、そのまま始末しちまえば良かったんだ!そうすりゃ、ブツの件は問題無し、取引聞かれた件も、全てカタが付くじゃねぇーか!」
「全くだ。大体あの小娘を生かしておいて得をするのはあの社長だけだ!それに、小娘から財産取り上げて分け前よこすと言っても、たかが知れてるぜ!」
 話の内容は茂みの中からでもよく聞こえた。
(〝ブツの件〟?〝取引〟?私を生かして得をするのは〝あの社長〟?)
 詳しい事はよくわからないが、どうやら私は記憶を失う前、とんでもない事に首を突っ込んでしまったらしい。そう思うと、思わず身震いがこみ上げた。茂みが揺れて二人がこちらを向く。
(しまった!)
 だが、
「ひでぶッッ!!」
「あべしッッ!!」
 見事な遠隔操作で飛んできた電撃をまともに受けて、二人は昏倒した。おそるおそる私は周囲を確認すると、遠方でチャラ男が恐らく最後の一人であろう黒服をのしたのが、目に入った。
 私はひとまず茂みから出て、慎重に辺りを見回した。のされて気絶している黒服達は、総勢十二人。各自拳銃や木刀などを手にして、バリエーション豊かな格好で伸びていた。
 多分拳銃のサイレンサーを取りつけているわずかの間にのされたのだろう、隠れている間に発砲する音は聞こえなかったし、チャラ男は弾傷一つ受けずに立っている。早技だ。
「ケガない?ようわからんけど、危ないところやったね。」
「あ、ありがとうございます。」
 私はそう言って、急いで歩み寄ろうとした。噴水を挟んでチャラ男の目の前まで来た時、突然彼は無言で〝ストップ!〟と合図を送ってきた。驚いて私は立ち止まる。私が止まったのを確認し、チャラ男は足音を立てぬよう、慎重に噴水に近づいた。
 私と噴水の距離はかなりある。何をする気なのかと私は目を凝らした。彼はワイヤーの先を水中に入れた。 そのまま電流を流すべく、本体のボタンに指を置く。そして、それはそれは爽やかな笑みでONにすると
「NОォォーッ!!」
…真の最後の一人が断末魔と共に、噴水の中から倒れこんだ。手には拳銃が握られている。
「ふっ…。電撃使い相手に水中に身を潜めるなど愚の骨頂…。」
 計十三人が死屍累々とする中、チャラ男はやたらかっこつけて言った。
「あの…この人たちは大丈夫なんですか?」
 私は黒服達の安否を尋ねた。あれだけ脅迫的な態度で迫ってきたのに、このようにあっさりと倒されては、かえって哀れでもある。
「まあ最低でも三時間はこのままやけど、命に別状は無いで。それより、その帽子…。」
 この帽子がどうかしたのだろうか。かぶっていたのを取ると同時に、何物か第三者の声が飛んできた。
「いや~お見事!五分もかからなかったんじゃねぇの?」
 私達は声の方向に身構えると、そこには、
「き…昨日の…。」
 昨日会った、あの黒ずくめの男が、拍手をしながら立っていた。警戒体勢を解かないまま、チャラ男がたずねる。
「知り合い?」
「んなわけないです…。」
 前にも似たようなやりとりがあったな、などと思いつつも、私は黒ずくめを見た。何故こいつがここにいる。チャラ男は再びワイヤーに光を走らせる。それを見て、黒ずくめは両手を挙げた。だが態度は余裕そのものだ。
「おっと、あんたとやり合う気はないよ。あんたの戦法はよく分かってるけど、こんな急に現れてくれちゃ、対策のしようもない。」
 まるでこのチャラ男のことを知っているような口ぶりだ。チャラ男の方は全く面識がないようだが。
「にしても、今回は予想外のことが起きすぎだぜ。俺はただそこのお嬢サンから、話を聞くために出てきただけなんだけどねぇ…。」
 やれやれといった風に黒ずくめは肩すくめて見せた。そして辺りを見回す。
「ま、とりあえずこのグラサンのオッサン達の始末は、俺に一任させてもらおうか。助かったぜー、先に気絶しててくれると、後の処理も楽だわ。」
「あんたも…ただの通りすがりやないみたいやな…何者や。」
「さあね…。」
 黒ずくめの男はニヤリと笑った。まぁ、あんたらにとって有難い存在ではないだろうね、とでも言うように。
「それよりも今、やるべき事は他にあるんじゃないねーの?」
 そう言って黒ずくめは、公園を指差す。私達がそちらを向くと、何やら威圧感溢れる外車が、猛スピードでこちらにやってくるのが見えた。車は公園の手前で急ブレーキをかけ、ものすごい音を立てて止まった。
「やばい、逃げるで。」
 中から人が出るよりも早く、チャラ男は危険を察知し、私の手を引いて走り出した。中から出てきたのは案の定、新手のヤーさん達だった。あの乱闘の間に連絡を取った者がいたのだろう。走りながらチャラ男が言う。
「なあっ!あの向こうの柵跳べる!?」
 茂みの奥の、黒い格子の柵だ。跳べようが跳べなかろうが、跳ばざるを得ない。
「はいっ!」
 私は覚悟を決めた。
「じゃあ超えたらすぐ右に走るんやでっ!!」
 そう言うとチャラ男は、私と反対の方向へと走り出し、あっという間に向こうの柵を超えた。私も全力でこちらの柵へと疾走する。追手はすぐそこ、失敗は許されない。私は勢いに任せて跳躍し、柵の一番上に手をかけて、思い切り体を押し上げた。そのまま体全部を外へと放り出す。
 少しの間宙に浮く感覚があったが、すぐに地面に落ち込んだ。着地の衝撃で足がじんじんする。だが止まっているヒマはない。すぐに右へ駆けだす。すると前方からチャラ男が赤いスポーツカーを飛ばしてきた。チャラ男は私に気付いて速度を落とす。間髪いれず、私は後部座席に飛び乗った。
「よっしゃ飛ばすで!」
 勢い良く車は発進した。再びすごいスピードで、黒服達の車を引き離す。他の車の間をぬって疾走するうち、どうにかまいたようだ。
 かくして危険且つ、妙な脱走劇は幕を閉じた。

   ***

 車はそのまま街を通り抜けた。何処へ行くのかたずねると、チャラ男は「その帽子の持ち主の所。」と答えた。そして車が辿り着いた先は――まぎれもない、カイの館だった。チャラ男はその目立つスポーツカーを裏に止めて覆いをかけ、そのままチャイムも押さずに上がり込んだ。私達に気付いて、カイもあの部屋――一日一回は篭る書斎とは別の謎のあの部屋――から出てきた。最近は気にしていなかったが、全く何をしているのだろう。
「イオリか…。珍しいなお前がメシ時以外に出没すんのは。」
「出没って…里山のクマみたいに言わんといてよ。」
 二人はお互いに憎まれ口を叩き合う。お互いに勝手知ったるといった風情。私は傍らで呆然として、そんな彼らの様子を見つめた。そんな私に気付いているのかいないのか、二人は立ち話を続ける。
「まぁ今日あたり来るか思てたとこや。報告せなあかん事もたまってたし、丁度ええわ。」
「こないだ電話もらったとこやしな。それよりあのとき言ってたハプニングて何?今回の事件に関係ありそうなん?」
「そう、そのことやねんけど~…ハプニングっちゅーのは…なんか変なの拾ってもーてな~…あ、おかえり、リオ。遅かったね。」
 話を途中で区切り、初めて私に気付いた様子でカイは言った。〝なんか変なの〟とは私のことか。しばくぞ。地味にそう思ったが表には出さず、チャラ男のことをたずねた。
「あの~この方は一体…友達ですか?さっき助けてもらったんですけど。」
「ああ、自己紹介忘れてた。」
 チャラ男も思い出したように、私に向き直る。
「俺はイオリ。ここ周辺の街を中心に探偵などやっております。こう見えても関西では結構名前通ってんねんで。」
「アヤシゲな職業の人中心にな。」
すかさずカイが注釈を入れる。
「事務所はまた別にあんねんけど、ここん家便利やからよく居候すんの。今日みたいに追われた時も、ええ隠れ家になるしな。」
「で、勝手に俺の買いためたヨーカン食いあさって帰る疫病神や。…言ってへんかったっけ?長い付き合いの友達が探偵で、俺は時々巻き込まれるって。」
「いや、初耳です!」
 知っていればこんなに驚かない!
「巻き込まれるてカイ君…お前俺の助手やろ…。」
「都合のええ時だけの副業や。」
「とか言ってお前の本業なんやねん。」
「ん~?まあ色々~。」
「わからんわっ!」
 永遠に続くような不毛なやりとりを見かねて私は言った。
「あのー…とりあえずお茶入れましょうか。」
 二人は思い出したように私を見る。また忘れられていたらしい。

   ***

 私が紅茶を淹れてきてからも、二人はしばらく不毛なやりとりを繰り返していた。
「にしてもどこでリオと知り合った。追われてたとか言ってたけど、まさかリオまでお前のチャンバラに巻き込まれたか…。」
「いや、だから私は助けてもらったんですって。」
 私はすかさず言った。命の恩人に濡れ衣を着せるのはさすがに気が引ける。
「にしても俺も驚いた。カイん家に行く途中、何やこの子が襲われてるし、何でかカイの帽子持ってるし…。その帽子似てるだけで別物かとも思ったけど、車のレーダーでちゃんと発信機反応するし…。」
「発信機?」
 カイはその帽子の裏側を私に見せた。
「俺がこいつと仕事に出る時、付けてくモンやねんけどな。これの反応でイオリも俺が動いた思うかなー思て。」
「えらく間接的な呼び方ですね。」
 そうこうしているうちに、ようやくイオリが本題を切り出してきた。
「俺は今とある事件を追っかけてる。カイはもう知ってる思うけど、リオちゃんは知らんよな?だから最初から説明せなな。」
 そう前置きしてイオリは語り始めた。
「俺は今行方不明者の捜索を依頼されてんねん。依頼主は新手洋服ブランド会社〝ブラン・シャトー〟の社長・芹辻衛氏。誰を探せばええかっていうと、その社長の一人娘・芹辻馨さんって人や。年齢十六身長百六十cm前後の女の子らしい。」
まただ。年齢も身長も行方不明であろうことも。これらの条件は私に気味悪いほど当てはまる。イオリも話をそこで区切って私を見た。
「この条件にピッタリ当てはまる人物を見つけたってカイから連絡があって、来てみたんやけど…。」
イオリは私の顔をじっと見つめる。私はほんの少し困惑し目をそらす。カイは私とイオリを交互に見比べている。
「やっぱ難しいところやな!」
しばらくの沈黙ののちイオリはため息をついた。カイもうなだれて言う。
「やっぱ写真がアレやもんな~。」
「写真がアレ?」
 私の問いにイオリは一枚の写真を出して私に見せた。写真には、長い黒髪にリボンをつけて、質の良さそうなドレスを身に纏って座っている、七歳ぐらいの可愛らしい少女が写っていた。この子が〝芹辻馨〟さんだろうか。
「九年前の写真で探せっつー方が無理な話やねんまったく…。」
 苦悩しながらイオリは続ける。
「だいたい今回の件は変なとこが多過ぎんねん!十六歳なら普通学校に通ってるハズやのに、それについて何の波風も立ってへん。それに、純粋に行方不明になったなら素直に警察にでも届ければええんや。そしたら全国に手配してくれるし、そっちの方が絶対早くて確実なハズやん!…あんま認めたないけど。」
「裏を返せば警察には届けたくない…関わらんときたいんとちゃうか?その社長。」
「俺もそう思う。…けど依頼は依頼やから探さなあかんしなぁ。変に首も突っ込めへんし、こっちもこれ以外動きようないんよ~。」
 確かに、私がこの屋敷に来てからよくカイとは世間話をしたが、その中に〝女子高生が行方不明〟というものはなかった。新聞にも、テレビのニュースもそれらしきことは言っていなかった。
「でもリオちゃんが一番条件に当てはまってる。確実にって程やないけど、今まであたってきた中では、一番近いわ。〝芹辻馨〟って名前やったら完璧なんやけど…自分の名前も思い出せへんねやろ?」
 ジャケットのイニシャルは〝Rio′R〟。芹辻馨とはほど遠い。私はうなずいた。
「…その子探してたっぽい人にこないだ会うたけど。」
 突如として口を開いたのはカイだった。
「リオも覚えてるやろ?あのなんか怪しげな黒いグラサン。」
「あぁ!そうだ、さっき追いかけられた時に出てきた黒ずくめ!あの人もきっと探してたんですよ。」
 私は先ほどの一部始終をカイに話した。カイも巷でのことをイオリに説明した。そして全てを話し終えた後、少しだが重い沈黙が私達を襲った。カイが言う。
「あいつ…ただの黒いグラサン掛け器やと思いたかったけど…そうはいかんみたいやな。」
「て言うか、そいつ確実にリオちゃん狙ってる感じする。」
「でも私はその理由が全く分からないんです。茂みの中で聞いた話、何か向こうにとって私は邪魔らしいんです。でも、〝社長〟は私を生かして得をする、と…。」
 再びこの場を沈黙が支配した。そのまま長い時間がたったように思われたが、実際には数分しかたっていなかったようだ。ここで悩んでいても仕方ないと、イオリは腰を上げた。
「とにかく馨イコールリオちゃんてことは、ほぼ間違いないと思う。けど今回の件は最初に思ってたより複雑そうや。とりあえず依頼人にリオちゃんの事は知らせんといて、しばらく会社の周りの様子見るわ。」
 今日のところはひとまず退却するらしい。ふとイオリは部屋を出る際に立ち止まって、カイにたずねた。
「なあカイ。リオちゃん見つけた時、何も外傷は無かったんやんな?」
「無かった。別に頭殴られて記憶飛んだワケや無いみたいやったな。」
「じゃあ精神的なモンかな…何かショックなモン見てもーたとか。でもあの時、あれだけのヤーさん達から腰も抜かさず逃げ切った精神力で、何がそんな衝撃やったんやろう。…あと、お前薬草にやたら詳しかったよな?催眠で記憶遡れたりするやつ無い?できるだけ毒性無いヤツで。」
「阿呆か記憶どうこうする時点で、思いっ切り毒性や。危険が伴いすぎる。」
「そっかあ…お前でも無理か…お前くらいのエキスパートならサラッとできそうな気ィすんねんけど。」
「イオリ君…俺は魔法使いか何か?」
「カイさんって薬草のエキスパートだったんですか?また初耳なんですけど。」
「せやねん、こいつの知識は重宝するで!しかも場合によって使い分けたりもするし…。」
「それに目ェ付けてケガしても病院やなくて、俺ん家来るのはどうやねん。」
「まぁそれはええやん。今日は思ったより長居してもーた。また改めて押しかけるつもりやから覚悟しときや!」
 こうしてイオリは、着た時と同じように赤いスポーツカーを飛ばして帰って行った。
「あの格好とあの車で、目立たず探偵活動とかできるんですかね…。」
「謎や…。」

   ***

 夕食の時、イオリも一緒に食べて行けばよかったのにと私が言うと、カイは半ば恐怖に顔を引きつらせて「や、やめとき。」と言った。イオリはよほどの大食らいらしい。あの細身の身体からは想像もできないが。
「そういえば、カイさんて仕事何してるんですか?ずっと気になってたけど言う機会無くて。」
 我ながら唐突な唐突な質問だったと思う。だがカイは、いとも普通にこう答えた。
「ん~…何て言うんやろうな~…黒幕?」
 …聞かなかったことにしようかと一瞬思った。
「な…何の。」
「とある会社の参謀役。正式やないけどね。まぁワケあってこの洋館から動けへんからメール中心のやりとりやけど。」

   ***

「貿易会社の裏重役!?あの〝兄貴〟の方が!?」
「何驚いてんの柊クン、君ならもう調査済みかと思ってたよ~がっくりだぜ。」
「〝弟〟君との接触に失敗したお前に言われたくない。このバカが…。」
「うるせーよ。その貿易会社で扱ってるのは主に骨董品とか、香料とか、薬草とか、マイナーだが高価なモンが多い。知る人ぞ知るって感じの会社、勿論規模も小さい。だがあの男の力で他企業につぶされる事なく成り立っている。社長も二十七の若造のクセに、妙にやり手だしな。ついでに言うと、そいつとその社長が親友同士だってコトも調査済みさ。もっともその社長、最近、ここ神戸に来て以来、行方不明なんだが。」
「それなら他のやつらが今探している。…有能な上に厚い信頼か…にもかかわらず何故〝裏〟の社員なんだ?」
「そこがミソだよ柊クーン…あの会社の社員は職業柄か移動が多い。それが奴には出来ない、つまり奴は神戸から動けない。それは何故だと思うかね柊クン。」
「いちいち名前呼ぶな。…まさか〝例の物〟が奴の洋館にある、とお前は言いたいのか。」
「ま、そういうこと。で、〝ブラン・シャトー〟の社長の方、ちゃんと見張ってた?」
「ああ。あの社長、始末屋雇ったぞ。」
「始末屋ってぇと…殺し屋とかその類の人間か。やだねぇ全く。」
「この仕事やってる限りそういう人間とはめぐり会うもんだろ。だが落とすのにだいぶ苦労したらしい。そいつの方も足を洗いたい所だったそうだ。そこに依頼が来たんじゃ迷惑極まりないだろうからな。依頼内容聞いて、渋々承諾したらしいが。」
「へぇ~どんな内容。」
「ええと確か、あの館の〝例の物〟を…し、〝弟〟君を…することだ。」
「なるほど…まあいい、泳がしとけ。」
「いいのか?」
「俺達の害にはならない。どうこうするなら全て終わった後だ。ただ…近いうちに、あの屋敷で血を見るかもな…。」
   ***

 この屋敷に来てから何日経っただろうか。とある昼下がりに私は自分ので、ふと物思いに沈んでいた。
 私はきっと最初からここにいたんだ、そう思えるほどに私はこの家に慣れ親しんでいた。ふと時々、記憶を取り戻す事なんて止めてしまおうかな、と思うことすらあるのだ。
 カイやイオリなど、周りの人々とは知り合って一ヶ月も満たないというのに、時に古くからの友人のように錯覚してしまうことがある。住み慣れていないはずのこの街の風景に、私は懐かしさを覚える時もある。全ての風景が私を受け入れる。
(…私は逃げ出したいのだろうか。)
 何か恐ろしい出来事を残した記憶から。それはいけないことなのだろうか。黒服の男達に見つかりさえしなければ、穏やかなこの生活。私が最近自分の過去に、あまり思いを巡らせなくなったのは、この生活を失いたくないからなのだろうか。その反面、心の中で何かがそれは許されない、私はやらなければならない事があると叫んでいる。落としたはずの記憶の欠片だろうか。しきりに私の奥で叫び続ける。
(やらなければならない事?どうせこの年頃なら、学校とか勉強とかかな。記憶を無くす直前は試験前だったなきっと。)
 そういうことにしておこう。そう思って私は席を立って、自分の部屋から出た。そして廊下でふと立ち止まる。私はこの生活でとても幸せだけれども、皆に迷惑をかけているのは確実だ。
 そして私は何らかの事件に巻き込まれている身である。その事件の鍵はどうやら自分の記憶の中にある。それを放り出すわけにはいかない。矛盾する思いの中で、私は廊下を歩いていった。すると
   ガシャーン
 奥の部屋から、何かガラスをぶち破るような激しい音が聞こえた。あのカイが閉じこもる秘密の部屋からだ。その部屋の前まで行くと、ドアが少し開いている。
 中に入ろうかと思ったが私は一瞬とまどった。この館の中で唯一私が知らない、私を受け入れていない空間だ。だが何か異変が起きたのは事実だ。思い切って私はその部屋に足を踏み入れた。
 
 その部屋は思いのほか広いようだった。だが無数の棚や骨董品が視界をさえぎり、奥の方まで様子が窺えない。第一、この部屋に今人はいるのか?私は自室に閉じこもっていたので、カイが部屋にいるかどうかも全く知らなかった。天井近くまである大きな棚には、桐の箱や壷や大皿などがひしめいている。どれもこれも宝物と呼ぶにふさわしい物に思えた。何故こんな物がたくさんあるのかと疑問に思いつつも、私はそれらに触れないよう身長に進むと、外側から突き破られたように窓が割れていた。周囲にガラスの破片が飛散している。
(何があったんだろう…。)
「渡してもらおうか。」
 聞き慣れない男の声。感情も抑揚もない、しかも刃物のような冷たい気迫をまとっている。とっさに隠れて声をの方をうかがう。鼓動が速い。声の主が何者かは分からない。だが見つかれば、ただでは済むまいと本能が言った。
「今更どこの差し金や。」
 同じ方向でカイの声がした。だがいつもと雰囲気が違う。落ちついてこそいるが、低く鋭い口調。まるで別人のようだ。
「俺はただ雇われただけ。――フンショウロウだ。この屋敷でお前が隠していると聞いた。頭ブチ抜かれたくなかったら、大人しくそれを渡せ。」
 ガラス張りのキャビネットを越しに、カイとレザースーツと遍光グラスをつけた見知らぬ男が対峙しているのが見えた。男の手には少し大きめの銃が握られている。それは微動だにせず、カイへと突きつけられていた。
 にもかかわらずカイは慌てるそぶりすら見せず、その男を睨みつけている。
「…ンなわけのわからん物うちには無い。」
 だが向こうは銃を下ろさない。返光グラスの奥の瞳は、突き刺すようにこちらを睨みつけるばかりだ。
「…とか言っても誤魔化せへんみたいやねぇ…」
 先程のはハッタリだったらしい。私は正直、混乱していた。初めて入った部屋には高価そうな物が所狭しと並んでいて、その奥ではカイと、窓を割り侵入してきたらしい人間が睨み合っている。〝ふんしょうろう〟という物を、あの男――始末屋としよう――は狙っているらしい。
 ただ、その〝ふんしょうろう〟という名前を、依然私はどこかで聞いたことがあるような気がした。何の事だったろうと思い返そうとした途端、頭痛に襲われた。
 立ち眩みにも似た痛み――私は頭を抱え、音を立てぬようその場にうずくまった。ここで倒れたり物音を立てたりすれば、カイが不利になるのは確実だ。
 睨み合いは続いている。
「俺も無駄な血は流したくない。お前はただそのブツを渡せばいい。それだけのことだ。だが――。」
 始末屋は手にしていた銃の引き金を引く。チュンッという音がしたかと思うと、カイのすぐ隣に置かれていた木箱のオルゴールが、壊れて落ちた。
「渡さなければ、お前もそれと同じ運命だ。」
 始末屋は冷たく言い放った。カイは後ろの壁に手をついて、うつむいたままだ。だが、不意にその口元に不適な笑みが浮かんだ。
「あいにくやけど、俺も命かけてんねん。」
 そう言うと同時に、カイは始末屋に向かって素早く何かを投げつけた。それと同時に始末屋もカイに発砲する。

    チュインッ!

―――私はその瞬間、撃たれたカイと
      重なって違う誰かの姿を見た―――
  
    ザブンッ…………

 (…水の音…?)
―――だがすぐに激しい頭痛がやってきて、そのビジョンと水音をかき消した―――
 カイが倒れたのと私がその場に崩れ落ちたのは、同時のことだった。再び襲う頭痛をこらえ向こうを見る。…弾は直撃はぜず、左腕をかすめただけらしい。だが傷口は深く、ひどい出血だ。始末屋の方はなんの外傷もなさそうだ。だが、突如苦痛に顔を歪めて銃を取り落とした。よく見ると手袋とレザースーツの袖の隙間に、小さな針が刺さっている。カイがさっき投げたのはこれだったのか。痛みに声を掠れさせながらもカイは言う。
「その痺れ薬は遅くとも三時間後には全身に回る。ちょこまか動けば一時間足らずにな。」
 壁にもたれかかってカイは上体を起こした。
「俺にとどめを刺して、目当てのモン取って帰るっていうのもアリや。どこの宝の山からそれを持ち出す前に、貴様は薬が効いて身動きが取れんくなる。そしてその頃、ここに来る予定の俺の友人が、俺らを見つける…。」
 カイがそう筋立を並べるのを、始末屋は悔しそうに聞いていた。
「ま…とりあえず出直して来た方がえーんと違う?」
 とどめの一言を始末屋に突き刺して、カイは嘲笑った。
(すごい…本気で命かけてる…。)
 その様に、私は戦慄すら覚えた。始末屋はしばらくカイを睨みつけていたが、落とした銃を拾い上げた。始末屋はそれをしまって、
「ただの楽隠居かと思っていたが…大した番人だ…!」
 そう言って近くの窓から外に飛び出した。すぐにエンジンの音がして、庭の隅から黒いバイクが現れ、どこかへ走り去っていった。そしてしばらくの静寂の後、カイが口を開いた。
「…そこにいるんやろリオ。」
 放心してキャビネットの影に立ち尽くしていた私は我に返った。
「カイさん!」
 よろめき立ち上がるカイを、私は飛び出していって支えた。傷口から流れる血は、乾いた床に落ちてしみを作った。周りに、音を立てるような水は全く無い。
(じゃあ、さっきの水音は一体…。)
 だが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「大丈夫ですか!?ひどいケガじゃないですか、とりあえず手当てしないと…。」
 私はとりあえず、埃の多そうなこの部屋からカイを連れ出した。物置から救急箱らしき物を引っ張り出し、見よう見真似と勘だけだが手当てを試みる。そんな私を、カイは少し驚いたように見つめていた。なぜかは分からない。ただ私は目の前の傷を何とかしようと必死だった。ようやく、不恰好ながらにも止血に成功した。 安堵してへたり込む私の横でカイはポツリと呟いた。
「…似てるな…。」
「?」
 何のことかとそちらを向いた私に、「なんでもない」と首を振り、カイはまたうつむいた。
「…ありがとぉ…ごめんな、巻き込んでしもて。」
 先程の睨み合いで、体力だけでなく精神力も多く使ったのだろう。かすれた声に元気はなかった。
「んな大げさな…私ただ居合わせただけですよ。あ、ごめんなさい開いていたから入っちゃったんですけど…。」
 勝手に侵入したことを思い出して、どぎまぎする私を見て、カイは笑った。
「あと十五分もすればイオリが来る。その前にあの殺人未遂現場どーにかせな。」
 イオリは元から、今日ここに来る予定だったらしい。
「あの…〝ふんしょうろう〟って何ですか?」
 私は先程聞いた、聞き覚えのある言葉を口にした。どんなものかはわからないが、私の過去に少なからず関わりのある物だと思った。
「ああー…フンショウロウ?花の名前や。バラの品種ね。うちにも生えてるで。」
「花って…!」
 誤魔化されたと感じて、追求しようと思ったがやめた。うまくかわされ、何も分からないまま終わることは目に見えている。
「じゃあ…〝似てる〟って誰にですか…?」
 私はまた尋ねた。カイはまたしばらくうつむいた後、心なしか遠い目をして言った。
「古くからの友人にな…。」

   ***

「弾に当たっただけでこのザマかい!軟弱やなぁ全く!」
 間も無くしてやって来たイオリは悪態をつきながらも、親身に私達の世話をしていた。
「お前と一緒にすんな。あーめっちゃ痛い。」
 数分後いきなり突入してきたイオリに抵抗する間もなく、傷口にオキシドールを流し込まれ断末魔を上げ昇天。そして今、意識を回復したところである。
 私はとうてい真似できない荒療治だ。数々の修羅場をくぐり抜けてきただけのことはある。
「その仕事人雇ったんは多分芹辻社長や。本来俺ら探偵は、依頼人の依頼内容とかプラインバシー的なもんには一切口ださへん。まぁそのせいで、多少危ない橋渡ることも多いんやけどね~、でも今回は怪しい思て色々探ってもーたわ。」
 手当てが一段落すると、イオリは私達に芹辻社長の経営する〝ブラン・シャトー〟の実態を報告した。
「前にも言ったと思うけど〝ブラン・シャトー〟は新手の洋服ブランド会社や。本拠地は東京、その次に神戸の三宮。支部はまだそこ一つしかない。俺が依頼受けたのは神戸やから社長が今三宮支部にいるのは確実、そして娘の馨さんが失踪したのもきっとこの周辺やろうな。」
「社長は東京からやって来たってことですか。」
「ああ。でも割と最近、一ヶ月前かな?」
「リオが来てからちょっと後か。」
 つまり、私を追うようにして東京から神戸へ移動したように見える。
「…社長の娘はやっぱり私なんでしょうか。」
 イオリは大きくうなずいた。
「社長の動き、その他もろもろの条件から、俺そう確信した。あんたこそが馨ちゃんや。けど…。」
 イオリはそこで口をつぐんだ。
「けど、なんで社長はリオちゃんが神戸にいると分かったのか――普通地元の東京で探してもええはずや。そしてなんで黒服のにーちゃんやらオッサンやらにリオちゃんを追わせたのか。」
 そこで私は、公園で襲われた時、茂みの中で聞いた話を思い出した。〝小娘を生かして得をするのは社長〟、これは私が社長の娘であることを示している。〝今回はそうはいかない〟、は私が何回か、奴らから逃げ切ったということではないのか。〝取引を聞かれた〟は私が追われている理由。だが〝財産〟のことは分からずじまいだ。
「これは裏で何かヤバイことやってるなぁ思て、社内に潜入してみたら大当たり。洋服ブランド会社は表の顔、その実態は銃火器麻薬密輸の片棒担ぎや!…暴力団と手を結び、ブツを荷物と混ぜて密輸を手伝ったり、倉庫を貸したりしてボロ儲けする悪どい商売人ぶりや…!お互い自分とこが不利にならんように見張りながら、東京でも同じことやっとるらしい。そのことに気付いた馨ちゃん家を飛び出したが、何かの拍子で記憶喪失になってここにおる…と。」
 イオリはそこでまた一呼吸置いた。私とイオリがしゃべっている間、カイは何も言わずに座っていた。私達の話は聞いてこそいるが、何か別のことを深く考えているらしかった。
「でも、いくら秘密に気付かれたとしても、実の娘をやーさんに追わせたりするんやろうかって疑問はある。始末屋雇ってカイを襲わせようとしたのも謎やし…。」
 悔しそうにうなだれるイオリの横で、カイは相変わらず上の空といった様子で考え込んでいる。そんなカイをちらりと見やって、イオリは深く溜め息をつく。そして言った。
「すまんリオちゃん。ちょっとコイツと一対一で話さなあかんことがある。しばらく席外してくれへん?」
「え?あ、はい。」
 得に断る理由は無い。二人が話し込んでいる間夕食の下準備でもしていようと、私は部屋を出た。台所へ行く途中、少しばかりカイの書斎へお邪魔して、園芸の本を失敬した。夕暮れ時の庭に出て本のページをめくる。
 そしてあるページを開いて、一つの鉢植えの前で立ち止まった。開いたページの花は鉢に鎮座している花と同じ。
(これが〝ふんしょうろう〟か。)
 オールドローズ、つまり昔からある古典的なタイプのバラだ。基調は白だが全体的にクリーム色がほのかにかかり、中心は淡いピンク色が差している。ちなみに漢字で書くと粉粧楼。
(でもやっぱり何も思い出せないな…。)
 覚えているのは名前だけ、他の事は全く思い出せそうになかった。
(と言うか始末屋の言ってた〝ふんしょうろう〟がこの花そのものとは限らないか。)
 名前をとった別の物である可能性の方が高い。この花を描いた絵、象った彫刻や細工された何かかもしれない。少なくともこれは、芹辻社長が始末屋を雇ってまで強奪しようとしているものではなさそうだ。ただどこか懐かしいものを感じた。
(何だろう…この香りかな?)
 一般的なバラの濃くて重い香りとは全く違う、紅茶のような甘い香り。他では見られないような独特の香りだったが、何故か私は心に染み入るようなものを感じた。何かを思い出せそうだ。
 だが頭痛は起こらない。しばらく私は花の前にしゃがんでいたが、諦めて戻ろう立ち上がった。夕日がきれいで、いかにも黄昏時といった風情に私は目を細めた。なんともいえない穏やかな気分だ。夕暮れ時、金色の光の中の深緑の庭。
(前の私はこんな素敵な景色を見た事があっただろうか。)
 素敵を通り越して素晴らしい景色だった。
「もしかして、この黄昏の園に感動してたりする?やっぱこの年頃の子はピュアだねー。」
 ふとどこからか声をかけられた。声のした柵の外を見て、私は凍りついた。
「ま…また…!!」
「お・ひ・さ・し・ぶ・り。」
 あの黒ずくめの男がこちらを見据えて、チェシャ猫のように笑っていた。この館の領地外にいるから良いようなものの、柵を挟んで三メートル足らずの所で鉢合わせしてしまった。
「どーしたのー。別にとって食ったりはしないけど。」
 逃げるようにその場を離れて震える私を面白がるように、黒ずくめは笑った。
「あと三日も経てばこの庭の花は満開になるだろう。このバラももっと見事になると思うぜ。この屋敷を〝黄昏の館〟とか呼んだどっかの金持ちもいたそーだ。」
 柵の棘が絡んでいない部分に手を置いて、黒ずくめは庭を見渡す。私はそこから後ずさりする。
「…一体何なんですかあんた…。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?あんたは何者だ!」
 震える声を振り絞るようにして、私は黒ずくめに言う。黒ずくめの男はそのままの表情で、だが少し間を置いてこう言った。
「館の主とチャラ男探偵には心許してるみたいだけど、俺にはそうじゃないみたいだねぇ…同じ赤の他人だっつーのに。」
「なっ…確かに赤の他人だろうけど…!」
 カイやイオリは私を助けてくれた。けれどもコイツは私の敵方ではないか。
「お人好しだな。」
 黒ずくめは笑みを消して私のほうを向いた。私は更に後ずさりして、とうとう屋敷の壁に背をつけた。相手は一歩も近づいてないというのに。
「チャラ男の方はともかく、あの男があんたを助けたという証拠はどこにある。」
 相手に表情は無い。ただ何の感情も読み取れない真っ黒なサングラスが私を映す。静かだが強い口調で黒ずくめは続ける。
「あの男があんたを――何か重大な秘密を知っているあんたを、人質としにして自分が裏で支える会社の切り札にしてるとか考えないのか。あんたの記憶の中に、奴の立場が危うくなる記憶があって、それが目覚めないように見張ってるとか考えないのか。」
 その口調は徐々に熱を帯び、手と掛けられた柵がギリリと音を立てきしむ。サングラスの奥の瞳は見えない。
「あんたは…!奴が怪しいとか思わないのか…!?」
「そんな…絶対にそんなはずない!ありえない!!」
 やめろ、これ以上は聞きたくない。何の根拠があってこの黒ずくめはそう言えるのだろう。単に私を混乱させたいだけだ。そう自分に強く言い聞かせるが、私は動揺を抑えられなかった。声を荒らげた私に黒ずくめも口を閉じる。そしてしばらくして静かに呟いた。
「表面に囚われて疑う事を知らない…いやそれとも自分に都合の悪い事を信じようとしないのか。今時珍しーぜあんたみたいな子。」
 黒ずくめは軽蔑するかのように言った。笑顔は戻らない。
「でもそういう可能性だって十分あり得るんだぜ。現実としてあんたは奴の監視下にあるっぽいし。奴はあんたを生かしも殺しも出来るのは事実だし…」
「うるさいッッ!!」
 耐え切れなくなって私は黒ずくめの話をさえぎった。再び口を閉じた黒ずくめは、今度はため息をついてこちらを一瞥する。
「…意外と気迫あんな…怒った?」
 当たり前だ。
「どうしてそんな事が言える!何も知らないくせに…!確かに私だって盲信して自分で解決しようとしなかった点はあるけど…でもカイさんはそんな人じゃない!!」
 黒ずくめの言うことはでたらめ、全部私を不安にさせるための脅しだ。頭の中で何度も繰り返す。
「そんな人じゃない、か…全くもって本っ当に今時珍しいピュアなお嬢サン…。」
 そう言うと黒ずくめは去ろうとしたが、途中で足を止めた。振り返らないまま私に言う。
「忘れてた。後一つ言いたかったことがある。」
 まだ何か言いたいことがあるのか。
「傷モノにせず以前の記憶を封じ込める事、あの男には可能だよ。」
「…………………え?」
 いつのまにか日は落ちて辺りは真っ暗だ。夜の風が一陣吹き、ざわざわと周りの木を揺らした。
「催眠作用のある薬草使って、暗示かければどうってことはない。奴の得意分野だ。」
もっとも、日本にそんな物騒な薬草は無いだろーけど。でも貿易商やってんだろあいつ。
 黒ずくめの言葉が私の脳内を突き抜ける。
 黒ずくめのいう事はでたらめだ。
 けれどもそれは、私をどん底に叩き落とすには十分だった。
 …黒ずくめは言うだけ言って去ってしまったようだ。私は、すっかり日が暮れて真っ暗な庭に、一人取り残された。

   ***

 わたしはそのまま屋敷の中に入った。
(結局何も夕飯の準備できなかったな。)
 まだ黒ずくめの話した事が頭の中を支配している。確かにありえなくはない、と思ったが、私は否定して首を振った。
(そんな事思わないでおこう。今までの恩を忘れたのか?)
 だが、不安感を拭い去る事は出来なかった。部屋に戻ると話はもう終わっていた。イオリはそこには居なくて、カイだけが一人座っている。私には背を向けて、テーブルの上の資料を眺めていた。
「あの…イオリさんは?」
 車の音はしなかったので、帰ったわけではないだろう。
「あいつなら二階や。家に泊まり込む気満万で、部屋強奪して巣作りしとったけど。」
 テーブルの上に散らばる資料の一つを手に取りながらカイは答えた。
「…何話してたんです?」
 訊いてから、なぜだか少し後悔した。
「リオの気にすることやないよ。」
 カイは私に背を向けたまま、手にしていた資料をしまった。はっきり教えてくれた方がいいのか。隠しておいてくれた方が幸せか、最悪の事態には気付きたくない。そこまで思ってふと、すでに黒ずくめの言葉を信じかけていると気付く。急いでそれを思考回路から追い出した。
(何を考えているんだ私は。)
 さっきからそんな事ばかり考えて複雑な顔をしていたのだろう。カイが心配そうにこちらを見ている。私は戸惑った。
「えっと…じゃあ夕飯にでもしましょーか。」
 とっさにそう言って台所に急いだ。
「あ…ああ、イオリも呼んでくるわ。」
 カイは挙動不審の私を怪訝に思っているのだろうか。それとも…。
(変な事を考えるな!)
 心なしか背中に視線を感じる。私は逃げるように台所へと向かった。この時ほど、この時ほど、この屋敷の廊下を長いと感じた事はなかった。
(何も考えなければいい、何も思い出そうとしなければいい、そうすれば何もかもが穏やかに済むんだ。)

 私は逃げ出したいのだろうか。

   ***

 三人揃っての夕食だというのに,食事はあまり喉を通らなかった。
「どーしたんリオちゃん…具合でも悪いん?それとも元々小食?」
そう言いながら、えらい量のお好み焼きを平らげているイオリを横目に、カイは溜め息をつく。
「リオ~、遠慮してると本気で無くなんで。現にあれだけ作った味噌汁の大半がコイツに召されて底を突いた。」
「はぁ…。」
 そんな会話もあまり耳に入ってこない。とりあえず自分の分は責任を持って完食したが、私はそのまま自室にこもった。どうしたものかと様子を窺う二人に、「体調が優れない」と言って早々と退却したのだ。だが本当は体調面ではなく精神面で参っていた。ベッドの上に倒れこみ、そのまま一生起き上がれないような気分で私は沈んだ。
(私はどうかしてる…。)
 信じているつもりなのに何故、一挙一動警戒してしまうのだろう。言葉の裏を探ろうとしてしまうのだろう。こんな状態のまま平静を保ってカイに接するのは至難だ。
(そりゃ慣れない最初こそ警戒してましたけれどもさ…。)
 どこかへ売り飛ばされやしないかと、そんな事ばかり思っていた記憶がある。でも自分の状態と相手の事を知っていくにつれ、すっかり信用しきったいた。
 黒ずくめの言葉が聞こえる。
〝奴も敵の一人とは思わなかったのか。〟
 もちろん幻聴だということは分かっている。だがあの時の不信感が倍になって蘇ったのは確かだった。そしてさらにその不信感に対して罪悪感を覚える。
 私は始終暗い思いで、暫く過ごさねばならなかった。

―――その三日間の夢は最悪だった。
 昼か夜か分からない。
 この屋敷の二階で私とカイが立っている。
 カイは踊り場の手すりに手をかけて、下を見下ろしている。 
 私はその後姿をじっと見つめている。
 だがカイは全く気付いていないようだった。
 夢の中の私は何故かとても切羽詰っていた。

 〝コノママダト私ノ命ハ無イ〟

 夢の中の私は背を向けているカイに一歩近づく。
 夢の中のカイは全く気付かない。
 夢を見ている側の私は焦る。
 嫌な予感がした。

〝コイツハ私ノ記憶ヲ消シテ見張ッテイタ〟
 
 待て、何を根拠にそう言える。

〝近イウチニ私ハ殺サレル〟

 誤解だ、とんだ思い込みだ、思い留まれ!

〝ソレナラ〟
 
 …やめろ。

〝殺ラレル前ニ殺レバイイ〟


―――夢の中で私はカイを突き落とした―――

「うわあああああああああああああああああああああぁぁぁ!!!」


 そこで私は目覚めてがばりと起き上がった。目に飛び込んできたのは自分の部屋だ。
(…良かった。本当に夢で…。)
 深呼吸してしばらくすると、だいぶ落ち着くことができた。ふと見ると時計の針は夜中の三時を回っている。
(あれだけ叫んだんだ、きっと二人とも起こしちゃっただろうな。)
 案の定、しばらくしてノック音が聞こえた。
「だ、大丈夫かリオ!?なんか出た!?」
 カイの声だ。私はぎくりとしてドアの方を見た。返事がないのを不審に思ったのだろうか。カイはドアを蹴破り突入し、周りを見回した。そして私と目が合う。私は固まったが、カイの様子がいつもと違うことに気付いた。慌てて取り乱している、そんな感じなのだ。
 右手に得物の毒針を構え左手には、何故か本を抱えたまま熟睡しているイオリを引きずっていた。妙な構図であったが夢とは違い、カイは健在だ。
「何もない?なんか大声で叫んでたけど…侵入者とか刺客とか悪霊とか妖怪とか。」
 珍しくカイが動揺している。
「だ、大丈夫です!ただちょっとした悪夢見ただけで…。」
 ちょっとした、じゃない。あれほど怖い夢など見たことがなかった。が、
「…何ともないです…。」
 その内容など言えたものではない。
 カイはその場に立ち尽くしていたが、しばらくして肩を落とした。
「…良かった…。」
 ぽつりとこぼれた一言。
(〝良かった〟…?)
 その言葉の意味をかみしめながら、頭の中で繰り返す。私が無事で〝良かった〟なのだろうか…。カイは私のことを心配してくれていたのだろうか。
「えーと…ごめんな。勘違いとはいえ急に突撃してもーて…じゃ、おやすみー。」
「あの!」
 フラフラと部屋を出て手を振るカイを、私は呼び止めた。眠そうな目でカイは振り向く。
「…何で…さっきはあんなに慌ててたんですか?」
 あれほど動揺し、感情に走った目をしたカイを、私は見たことがなかった。何をそんなに慌てていたのだろう。カイは少し答えるのをためらった。だが少しの後にこう言った。
「急におらんくなったらどうしよ思て。」
 そう言った後、カイは振り向いて自嘲気味に「情けないよなー。」と笑った。その様がなんだか私には哀しく見えた。
「ええかげんリオにも話さなあかんかな…最近ちょっと俺挙動不審やったやろ?」
 …それは私もだ。でもこの三日間、カイは口数が減って、何か考えていることが多かった。
「前に似てる人がいるって言ったよな。」
「〝古い友人〟ですか?」
 始末屋からの攻撃を受けた、必死になってその傷をどうにかしようとした私に、似ているという人か。
「…そいつがここしばらく行方不明で…死んだ可能性が高いって。」
 何故だろう。そう聞いた私の中で何かがはじけた。
「おとつい、イオリとはその事を話してた…まぁ前から予感はしてたんやけどなね…。」
 その旧友は私がここに来る前日に、姿をくらませたらしい。この神戸に来たのを最後に。始末屋が奪いに来たのは、彼からの預かり物であること。行方不明になる直前、港で黒服達が多勢目撃されたこと。
「たぶんあいつから〝例の物〟を奪おうとしたんやろう。けどあいつは持ってなかった。それで色々口封じのため殺されて、海に沈められた…けど海から死体は上がらなかった。」
 カイは淡々と話し続ける。
「リオが来てからもずっと調べ続けてた。でも何も掴めへんかった。そうしてるうちにリオがそいつに似てることに気付いて…勝手に重ねちゃったりもしたんやけど…。」
もしかして彼と関係があるのではないか、と。
「他人にしては類似点があり過ぎた。顔しかり名前しかり…。」
「名前?」
「輪道寺薫。」
〝Rio,R〟〝セリツジカオル〟〝リンドウジカオル〟。
「…でもリオは薫やない。勝手に重ねて見んのは悪い思て黙ってた。」
〝神様お願いです。俺から二度と大切な人を奪わないで下さい。〟
 そんな心の叫びが聞こえたような気がした。
「けど今回はそれが誤算やったわ。…普段明るく振舞ってても、リオは逃亡中で不安やった。疑ってたんやろ?俺のこと。」
 いつからだろう。カイはとっくに気付いていたのだ。気付いていた。気付いていながら、そのことを責めもせず受け入れた。私はもう涙なくしていられなかった。
「…ごめんなさい…。」
 今までずっと堪えてきた分が、一気に零れ落ちる。自分でも驚くほどの涙だった。カイは泣きじゃくる私の頭をクシャクシャとなでて、困ったように言った。
「結構長い間一緒にいてた気ィするけど…泣き顔見んのは初めてやな。」
 カイは私が泣き止むまで側にいてくれた。こんな人が身近に居てくれるなんて、私はなんて幸せ者だろう。心からそう思った。
「…つながった。」
 ふとドアの外で声が聞こえた。カイに引きずられて来たまま放置されていたイオリだ。
「何が?」
 もしかして今までのやりとり全て聞かれていたかも知れない。カイが半ば照れくさそうに訊く。イオリは半分寝ぼけた表情で顔を出し、言った。
「リオちゃん馨サンと薫サン。とりあえず明日朝イチに調べに出るわ。まだ確信はできひんから。」
 そう言うとイオリはあちことぶつかりながら何とかして部屋へ戻っていった。だが何か閃いたのは確かだろう。
 この後私はすんなりと眠ることができた。真夜中のこともあっただろうし、泣き疲れたということもある。でも、抱えていた不安感が取り除かれ、安心したことが一番に理由だろう。夢の中で私は、あの〝黄昏の園〟に中にたたずんんでいた。

    * **
 
 朝起きた頃にもうイオリはいなかった。夜更かししてしまったからだろうか、私とカイは揃って寝過ごしてしまった。テーブルの上には置き手紙が一つ。
『決戦の準備が整い次第連絡する。』
(…決戦?)
「そろそろこの事件も終盤やな…。」
 私もそう感じていた。私が前に暴き出したと思われるブラン・シャトーの秘密も追われていた理由も明らかになるだろう。そう思うと胸が高鳴った。
「でも大丈夫なんですか?私の記憶は戻ってないし、社長と暴力団の密輸を暴き出すにしても証拠が足りないんじゃないですか?」
 仮に私の記憶が戻ったとしても、一人の証言だけではもみ消される可能性の方が高い。所詮一人だけの力なんてそんなものだ。
「その辺はイオリが何とかしてくれる。物証でも、現場おさえた写真でも今日中には用意してくれそーや。」
 カイは何やら薬を調合している。
「…何に使うんですかそれ。」
「たぶんもうすぐ暴れることになりそーやから護身用に。俺も出向かなかんやろーし。」
「暴れるって…。」
 一体何をおっ始める気だ。
「まさかブラン・シャトーに直接乗り込むんですか?」
「場合によっては、やけどね~。」
 カイは、できた粉状の物を袋に詰め込んでいる。どうやって使う気だ。しかもカイはまだ傷が癒えていない身だ。あまりにも危険且つ極端な選択ではないのか。
「やっぱり…警察とかに任せた方がいいと思います。証拠さえ挙げれば何とかしてくれますよきっと。」
 私達がやるべきことはもう終わったのではないかと私は思った。
 けれどもカイは首を振った。
「それで暴き出せるんは密輸と拳銃不法所持くらい。下手したらリオのことも薫のことも闇に葬られる。それに、芹辻社長は顔広いから、ただ警察にチクるだけじゃどーにもならんかもしれん。」
 完成した謎の詰め合わせを使い古された鞄に入れて、カイは言った。
「結局は俺らがやるしかないんよ。」
 その横顔は、どことなく決意が見て取れた。
(私もそろそろ覚悟を決めなければいけないのかもしれない。)
 安寧な生活に慣れて、私はきっと立ち向かうことを忘れていた。いつまでも知らんぷりしたままではいられない。そもそも始まりは私がこの館の前で行き倒れたことだ。騒動を運んで来たと畆言える私が、何もしないのは自分でも許せない。でも今の私に何が出来る。
 詳しい情報が集まった私の記憶は、何かの拍子に失ってしまった。直接事件を解決に導きはしなくても、何らかの形で力になれたかもしれないのに。そこまで考えてふと思った。
(…探してみようか。)
 幽かに覚えていることをたどって、記憶の内容を憶測してみようか。特に役には立たなくても、ただ手をこまねいているよりはずっといい。
 と、いうことで私も行動を起こすことにした。
「カイさん。」
「あ?」
「私ちょっと出てきます。」
「あ~そぉ行ってら…って何やって!?」
「洋館街周辺をまわるだけですよ。そんなに遠くには行きません。」
 この館に来る経緯はどんなものなのか。改めてそこから辿ってみようと思った。
「…あのな…今どーゆー状況かわかってはるんですかお嬢サン…。」
 額に手を当てカイは溜め息をつく。呆れられるのも当然だが。
「今は昼間、しかもここらは観光地で人通りも多いです。黒服がうろついてても、そんなに派手な行動は取れないはずです。」
「それはそーやけど…。」
 カイはなかなか許してくれそうにない。それもそうだろう。カイは〝ふんしょうろう〟の番とイオリの連絡待ちで、私と動くわけにはいかないし、私はいつ黒服に襲われるか分からない。だが、黒ずくめの男がこの館を探り当てた時点で、今私達が何事もなくここにいるのが不思議なくらいだ。
 奇襲をかけようと思えばいつでも出来たはずだ。多勢で乗り込めばこちらに勝ち目などない。なのに黒服達はやって来ない。
「私も目立つような事はしませんし、何かあったらすぐ連絡します。人気の無い所も出来るだけ避けますから。」
 しばらくカイは呆けたように私を見つめてが、
「あかん言うても聞きそーにないな…。」
 私に何か小型の機械を渡した。携帯電話を模したようだが、ボタンのような部分を押すと、先端から電気が走った。
「何ですかこれ?」
「スタンガンやって。イオリがくれたけど俺使わんから。充電はしてあるから護身用に持っとき。」
 そしてカイは発信機付きの帽子を、私にぼそりとかぶせて言った。
「でもくれぐれも無茶はせんよーに。」
 …認めてくれるのか。
「はい!ありがとうございます!」
 こうして私は逃げるのをやめ立ち向かうため、一歩踏み出した。

      ***

 ひとまず私は洋館街の外から、あの屋敷に向かってみることにした。坂道を走っていた記憶はある。この周辺とは限らないかもしれないが、感覚を蘇らせる事で何か掴めそうなのだ。
 人の中にまぎれて坂を登る。坂の途中まで行くと、私はまとわりつく誰かの視線に気付いた。大丈夫だ。周りには一般人もいる。そう容易に手出しはしないだろう。私が視線の方を振り向くと、二人組の黒服が慌てて物陰に姿を隠した。
(やっぱり私がここにいる事はとっくにバレてるんだ。)
 でもどうして直接襲ってこなくなったのだろう。私は坂を上りながらちょくちょく尾行してくる二人の様子を窺った。傾斜の上を見ては下も見る。そうしているうちに、私はふと何か思い当たった。
(私は最初から坂を上がって行ったとは限らない…!)
 目に入る風景は、前方の〝上がる〟景色より、振り返る〝下る〟景色の方が強く印象に残るのだ。そう気付くと私は、真っ先に下を見下ろせる高台の方へと向かった。
 確かな記憶が無い以上、私の感覚だけで調べるしかない。いくら記憶喪失とは言え、心身そのものは前の私のままだ。ある意味、他のどんな方法より、ずっと確かかもしれない。
 高台には何度か来た事はあった。だがほとんどが通りすがりといたレベルで、こうしてしっかりと下の道を見た事は無かったのだ。私が高台から景色を見下ろすと、またいつもの頭痛がやってきた。この頭痛が起こったという事は…
(間違い無い…私は前にここに来た事がある!)
 それにしても、何故肝心な時にこの頭痛はやって来るのだろう。最初、鏡を見た時もそうだった。始末屋が言った〝ふんしょうろう〟という言葉も、カイが撃たれた時に重なったビジョンと水音もそうだ。全てに共通して言えるのは、〝私に関する以前の情報〟ということ。
 特に後の二つは、今回の事件に直接関係ありそうだ。この記憶喪失の原因は精神的なもの。ということは、この頭痛は私の脳が、思い出す事を拒否している事の現れだろう。だが、いつまでも逃げていてはいけないのだ。私は気を強く持ち直し、もう一度高台から景色を眺めた。
(この景色を見て私は何を思う…。)
 下の道を通って私はここに来た。他には少し近くにあるバス停から行く事も可能。坂を下っていけば大通り。そこでタクシーをつかまえれば港まですぐ。
(…港!?)
 私はここから港へ向かったのか。これは〝記憶〟に限らず〝思い〟をアテにした突然の思い付きだ。信じていいものか一瞬迷ったが、捨てきれる説でもない。
(港に行って何をする?)
 そう考え始めたが、私はふと我に返って周りを見回した。いつのまにか人は移動し、高台にいるのは私と外国人観光客だけだ。
(やばいな…そろそろ退こう。)
 うっかり一人きりの状況を作り出すところであった。周囲の気配を探りながら、私はその場を去ろうとした。尾行してきた二人組の影は無い。ここから館まではすぐだ。今が引き際だろう。高台を離れ、私は早足で館への道を歩いていった。
 だがこういう時に限って不都合な事は起こりやすい。なんとその道の先、館まで曲がり角一つという所で、黒服二人が待ち伏せしていたのである。そこを通る前に、私が彼らに気付いたのは不幸中の幸いだ。
 ここは遠回りするのが賢明だと判断し、私はその道を横にそれた。私はもはや地元民。多少遠回りしても迷う事は無い。だがそこが落とし穴だった。それは観光地ルートから外れた人気の無い道だったのだ。
 私は途中でその事に気付き、あの二人を強行突破してでも先程の道を行くべきだったと後悔した。どこから出て来たのか黒服達は総勢四人。
(こんな所で…!)
 少しの判断ミスが自分の命取りになる。そんな教訓が今の私には腹立たしいほど似合う。向こうは全員がサイレンサー付きの拳銃を構え、私を取り囲んだ。四人のうち一人は公園で遭遇したリーダー格の黒服だ。
「ゲームオーバーだ。」
 リーダー格は勝ち誇って私に銃を突きつけた。悔しい。こんな時に敗れて命を失わなければならないのか。 私はきつく唇をかんだ。
「散々失敗しながらも、やっとここまで漕ぎ着けた。お前を始末さえすれば組織は安泰だ。大人しく念仏唱えるんだな。」
 リーダー格の男は銃の引き金に指をかける。悔しい。あまりにも悔しすぎる。でもこの状況を作り出したのは紛れも無く私だ。
「…ただで死ぬと思うな…。」
 どうせここでくたばるしかないのなら。私はスタンガンのスイッチをいれた。
「相変わらず威勢だけは良いな。公園での時はどうかしたのかと思ったぜ。でもあの時みてぇに助けは来ねぇ。屋敷にいる間は始末屋の目が光ってたからな。俺達も手出しが出来なかったんだよ。外出してくれて助かったぜ。」
「始末屋!?」
 屋敷にこいつらが来なかったのは始末屋のせい、ということなのか。
「あの社長が俺達に黙って勝手に雇った始末屋だ。」
 冥土の土産に教えてやろうと言ってリーダー格の黒服は話し始めた。
「あの始末屋は芹辻社長に雇われた。最初、奴は殺しの仕事に愛想が尽きてたらしく、社長の依頼も聞こうとすらしなかったらしい。社長の依頼は、あの屋敷からフンショウロウとか言うお宝を奪う事――何の理由でそいつを欲しがるかは分からんが。そしてもう一つは…俺達に命を狙われてたお前を陰で護る事だ。」
「あの始末屋が私の護衛を…?」
 私はてっきり、始末屋も警戒の対象だと思っていた。だがそれはとんだ思い違いだったらしい。
「だがお前が単独で動いてくれたお陰で、奴もお前を見失ったようだ。奴も残念だろうな…〝人を護る〟という最初で最後の仕事を失敗に終わる訳だ。」
 リーダー格の男は鼻で笑った。
「まぁ奴もそこまでの腕だったという事だろうな。」
 引き金にかかった指に力が入る。勝ち目は無い。
(どうせここで終わるなら力の限り暴れてやる!)
 決死の思いで私が身構えた、その時、
「…誰がそこまでの腕だと?」
―――チュインッ
「うがっ!」
 リーダー格の男は銃を持っていた手を打ち抜かれ、銃は発砲される事無く取り落とされた。
「なっ何だ!?」「何が起こった!?」
 残りの三人は驚愕の表情を浮かべ、一斉に銃口を私から各自バラバラの方向へ向けた。
―――反撃するなら今がチャンスだ!
 私は一番近くにいた黒服に思いきり体当たりをくらわせ、そのまま鳩尾に力の限り拳を叩き込んだ。後ろから飛びかかって来た男には、脇腹に回し蹴りをお見舞いした。
 火事場の馬鹿力か、二人の黒服はそのまま嘘のように倒れ気を失った。残りの二人も始末屋に倒されたのか、地面にへたばっていた。
「…お見事。」
 声の方を振り返ると、さっき高台で居合わせた外国人観光客が、あの少し大きめの銃を持って立っていた。まさかこの人が始末屋と同一人物とは思わなかった。だが服装こそレザースーツと返光グラスではないだけで、肩の辺りで切られたグレイの髪は確かにあの始末屋だった。
 始末屋は周囲を見まわし、撃ち漏らした者がいないか確かめると、私を一瞥していった。
「…あまり思いつきで不必要に動くな。ランダムに動かれちゃこちらも大変なんだ。」
 その言い方に、館でカイと戦った時のような殺気は無かった。私はどうして良いものか分からず、その場に立ち尽くす。始末屋は銃をしまうと私に背を向けた。そして私に言う。
「…リンドウジカオル。近くお前に関わる全ての事件は終わる。全てを解決したければ、その時まで命を惜しむ事だ。」
「りんどうじ?」
私に対して言った事は間違い無い。が、
「私の本名は芹辻馨なんじゃ…。」
 いくら外国人でもリンドウジとセリツジの聞き分けぐらい出来るだろう。流暢に日本語を話すこの始末屋なら尚更だ。輪道寺薫はカイの友人で〝ふんしょうろう〟の持ち主。そして今は生死不明。でもこの事を始末屋が知っているとは思えなかった。
 彼への依頼は〝ふんしょうろう〟の強奪と私の護衛だけなのだから。だが始末屋は、
「…どちらも同じだろう。」
と言った。
「…とにかくもう少しで、嫌でも真実を知る羽目になる。だから今は下手に動くな。」
 始末屋はそう言うと、またどこかへ去って行った。
   ***

 館に戻ると、カイは電話中だった。相手は多分イオリだろう。受話器を置くと言った。
「明日の夕方六時に芹辻社長と会うことになったわ。今のうちに来て行く服選んどき~相手はお偉方ばっかりやからな。」
 対決の手はずは整ったらしい。
「で、何か掴めた?」
「あ、はい…なんか複雑なことなんですけど。」
 私は始末屋との事をカイに話した。ただでさえややこしい今回の事件を、更にややこしくするような話だったが、カイは悩むどころか安心した表情を見せた。
「当分リオの身の安全は確保されるって事か。その辺は俺よりあの始末屋の方が心強いやろな。」
 などと呑気な事をおっしゃる。
「…そんな事言って良いんですか?いつ何時〝ふんしょうろう〟盗られるか分からないんですよ。大切なものなんじゃないんですか?」
「ああ、〝ふんしょうろう〟の事ねぇ~。」
 カイはまたいつもの、どこかぼーとした調子で言った。危険を伴う対決の間近だと言うのに、緊張感の欠片も無い。私がカイに会ってもうすぐ一ヶ月になろうとしているのに、未だにつかめない。
「そろそろきちんと話さなあかんかな。」
 そう言うとカイは骨董品部屋から小さな桐の箱を持ってきて、私の目の前に置いた。箱には〝焚鐘楼〟とある。花の粉粧楼とは漢字が違う。
「…開けてもいいんですか。」
「どーぞ。」
 私は恐る恐る蓋を開け、中の包み紙を捲っていく。割れ物なのだろうか、包装は厳重だった。そして出てきた物―見事な細工が施された香炉だった。
「俺も詳しくは知らんけそど…何か作りが他のとは違うらしくて、これでしか出せん香りがあるんやって。」
「ほぉ…。」
 私は落とさないように注意しなから香炉を観察した。普通なら、蓋は一つなのだろうが、この香炉の蓋は何故か二つ重なっていた。平面な内蓋の上に、ドーム状に外蓋がかぶせられる仕組みである。外からは見えない内蓋にも細かな細工が施されていた。
「これは輪道寺家の家宝且つ遺産相続の証らしい。輪道寺っちゅーたら日本でも指折りの財閥や。薫はこれを託されたけど周りの親類が血眼で奪おーとするからここに隠してたんや。」
「輪道寺家の家宝って…それなら何で芹辻社長が欲しがるんですか?持ち主の薫さんはいないし、お香だけ奪っても何の得にもならないんじゃ…。」
「そう。それに香炉を持ってるだけやったら財産は貰えへん。この香炉でしか出せん香りを出させて、本物やって証明した上で遺産は相続可能や。」
 そこまで言うとカイは話を止めた。
「まぁ別に今全部話してしまうことでもないか。」
「え!?ちょっ…。」
 気まぐれで話を途中で放り出さないで頂きたい。気になる事はまだたくさん残っているのだ。だが、この後いくら訊いても
「明日になればみんな分かるよ。」
と、カイは言うばかりだった。

   ***

「とうとう終わるな~この事件も…。」
「おいおい感傷にふけってんじゃねぇよ。明日の夕方、奴らが動く。俺らもまだ油断はできねぇ。…明日の午後六時と言えば…ブラン・シャトーとの取引の時間帯じゃねぇか。全く奴らも無茶するねェ。」
「だからお前が見込んだんじゃないのか?奴らならここまで来ると、お前は勘付いていたんだろう。」
「…たまにはいい事いうね柊クン。ホントたまには。」
「お前は一生言わないんだろーな…。」
「やっぱりさっきの事取り消す。…まざ俺達も準備すっか…。フィナーレのパーチーはブラン・シャトー主催、明日の夜派手に決めよーぜ!」
「…派手にすんな。」

   ***

 そして翌日。この日ほど午前から夕方までの時間が長いと感じた日は無かった。午前中に、イオリから最終確認の電話があり、私達はその時に向けて準備を進めていた。晴着を着て行くべし、という事だったのでドレッサーを発掘した結果、奥に見慣れぬ箱を見つけた。
 こんな箱あったか?と手に取ると、箱のリボンに挟まっていた紙がひらりと床の落ちた。紙にはカイの字で、
『対決の準備をするにあたり、良さそーな服を見つけたので、ここに贈呈します。よろしければ当日どうぞ。』
とあった。中身は、上質でデザインも綺麗な正に素晴らしいドレスだった。サイズも大き過ぎず小さ過ぎず、私に丁度良かった。
 裾は膝より少し下辺りなので、動きも重くならず、行動の妨げにはならないだろう。何より私の好みにバッチリと合っていた。カイさんありがとうございますと手を合わせ、私はそれを着て行くことにした。
 あの日と同じように鏡を覗き込む。見慣れたからか、頭痛は起こらなかった。何故最初、自分の顔を見ただけで頭痛を起こしたのだろう。私が思うに、あの時の私は何もかもを忘れたかったのではないだろうか。
 何もかもを忘れてリセットした状態で全てをやり直したかった。きっとそうだ。初めに見た夢も、何かから必死で逃げている夢だった。事件の詳細が見えるまで、私は黒服から追われているものだとばかり思っていた。
 だが今なら、あの夢で私を追っていたのはそれだけではないと思える。勿論黒服達もその中に入るのだが、過去の自分かもしれないし、事件の渦中にいるというプレッシャーかもしれない。そして私が記憶を手放すきっかけとなった〝何か恐ろしい出来事〟かもしれない。
 今日、その全てを知らされる。私はそれを受け入れる事が出来るだろうか。この後に及んで拒否してしまったりはしないだろうか。それが心配だったが、何故か不安ではなかった。
(何だろうこの落ち着いた気持ちは。)
 無我の境地とでも言うべきか。心を水面に例えるなら、波立たず景色を映している、そんな感じだ。そしてどこか清々しくもあった。
(いつ以来だろうこんな気持ちは…。)
 今までずっと走っていたような気がする。

 下に行くと、もうカイは全ての準備を整えて待っていた。桐の箱に入った焚鍾楼と、花の粉粧楼のブーケを用意し、カイ自身はダークグリーンのスーツを身に纏っていた。意外にも初めて見るカイのスーツ姿は溜め息が出るほど格好良かった。
「あ、着てくれたんやそれ。気に入った?」
「はい!カイさんも凄くかっこいいです!」
「ふっ…俺かて決める時は決めんねんで。」
 でも一張羅なんやけどね、とカイは付け足した。家の前までタクシーを呼び、そのままイオリと待ち合わせている港へと向かった。その途中、運転手が「パーティですか?」と訊いてきた。まぁそんなものかもしれない。港に着くと、私達は大きなビルへと入っていった。
「ようこそ、お待ちしておりました。」
 何故だか、そこの社員らしき男に丁重に迎え入れられて、私達はそのビルの奥へと案内された。このビルは ブラン・シャトーのビルなのだから、この男もそこの社員だろう。
なのに、会社を潰そうとしているとも言える私達をこんな易々と入れるなんて、ずいぶんと無用心だ。だが私は、その社員にどこか見覚えがあった。服装こそ地味なスーツで、髪色こそ落ち着いた茶色だが…。私は周りに人がいない時を見計らって訊いた。
「…イオリさん?」
 すると社員は眼鏡をくいっと上げて笑った。
「今は通りすがりのデキる男や。」
 やっぱりイオリだ。普段派手だと、こういう地味な格好をした時、返って誰だか分かりにくい。こんな利点があったのか。イオリに連れられて私達はビル内の一室に入った。どんな手を使ったのか、部屋はきちんとした物を貸切っていた。裏口とも繋がっていて逃亡も可能そうだ。カイが尋ねる。
「例のアレ用意してくれた?」
「もちろん!」
 そう言ってイオリが出したものは…何かバズーカ的な物だった。
「俺特製の改造バズーカ、名付けてМ‐13砲!これを使うって事はお前もやる気になってくれたんやな!」
「…、隠れてても巻き込まれるだけやろ?」
 感涙に咽ぶイオリの横で、カイはさらりと、且つ冷たくそう言って、持参した粉状の薬品をバズーカに仕込んでいた。イオリはしばらく硬直する。ご愁傷様です。
「けど一つ予想外の事が起きた。」
 イオリは気を取り直していった。
「ここでやるはずやった取引が、取引相手の組長の根城でやることになったらしい。」
「てことは黒服達の根城で!?」
 そんなところに乗り込む事になるのか。私は驚いたが、カイは
「ステージが変わってもやる事は同じなんやろ?」
と落ち着いていた。今更だが、この人も相当な修羅場を拝んできたのだろうな、と私は思った。
「そうと決まったらもう後戻りはせーへんで!」
 ちょっと失礼、とイオリはロッカーの陰に隠れる。そして三分後、通りすがりのデキる男は、通りすがりの男前に変身して現れた。
「…どうやってこんな少しの間で元に戻れるんだろう。」
「そしてなんでこんな派手なカッコで出向く必要があるんやろう。」
「これが俺の勝負服や!!」
 公園での件でイオリは黒服達からマークされているろう。あの時と同じ格好で門前払い(or袋叩き)にされはしないだろうか。けれども主戦力はイオリなので行ってもらうしかない。
「もし何かあったらコイツを囮にして逃げるで。」
「はい。」
「お前ら鬼やな。」
 私達は裏口から出て、外に停めてあった庵のスポーツカーに乗った。そのまま走っていくと、途中で黒いバイクが私達を追い越した。あの始末屋もそこへ向かう。この事件に関わった人々が皆集まっていく。
ビルからその屋敷まではそんなにかからなかった。右には花束とバズーカを持ったカイ。左に電撃ワイヤーにスイッチを入れたイオリ。そして中央に香炉の箱を抱えた私。
 いざ出陣!

   ***

 ピンポーン…
大きな門の前でチャイムが鳴り響く。海をバックにした大邸宅。
 応じるのは用心深そうな声。
『どちら様でしょうか?』
 こちらではカイができるだけ穏便に答える。
「そちらのお嬢様をお送りした者です。」
 インターホンの向うで多くの人間が騒ぐのが聞こえた。が、しばらくして
『お通りください。』
 ゲートが開いた。私達は更に奥の正面玄関に向けてずんずん進む。
「今更な話やけどやっぱコワイもんやねぇ。」
 とか言いつつも面白そうに笑うカイ。
「最後まで気ィ抜かずに行くでー…久しぶりで腕が鳴るわ。」
 イオリもなんだか張り切っている。
「もし失敗したらどーする気やねん。」
「あー…コンクリート漬けの世界ですね。」
「リオちゃんそーゆー事言うのやめよう。」
 大きなドアを真中から開け放すと、案の定待ち構えていたのは銃を持ったヤーさん達である。だがその銃も大して役には立たなかった。私達がドアを開けたのと同時に、イオリがワイヤーを振り回しながら突っ込んで行ったからだ。
 最初は、社長の手前で娘の私を殺しはしないだろうという事で、大人しく連行されながらでも入ろうという作戦だった。だがあまりにも黒服の数が多かったからか、作戦は突如〝蹴散らして社長と組長シメル〟となったようだ。イオリが突進した跡には、嵐で薙ぎ倒された草木の如く黒服達が重なっていた。
「…いいのかこれで。」
「…あんまり良くない。」
 開けたドアの陰で呟いた私の一言はイオリにも黒服にも、もう届かない。中に入ったところにある広間では、残りの黒服達相手にイオリが奮戦していた。黒服の注意は全てイオリに向いていたため、私達は誰にも気付かれず堂々と安全に侵入した。
(結局はイオリさん囮か。)
「いつまでも放っておくんは可哀想やな。」
 カイはイオリの方を振り返った。いくらイオリでも、ワラジムシの如く増殖しつづける黒服達と渡り合うのには体力の限界がある。スピードが落ちて弾が当たるのも時間の問題だ。現に、山吹色のコートにはすでに二箇所ほど穴が空いている。カイは黒服の群れに埋まりながらも暴れるイオリに
「イオリー覚悟しぃや――!」
と、М‐13砲をぶっ放した。撃ち込まれた粉塵状の物は人の群れにまんべんなく降りかかり、次の瞬間にはほぼ全員が床につっぷしていた。粉塵が収まるのを見計らって、カイは人の山に足を踏み入れた。
「イオリ~起きとる~?」
 カイがそう呼びかけると、巨大なオッサンの下敷きになっていたイオリがむくりと起きあがった。
「生きとるわヴォケ!」
 ハンカチで口元を抑えながらイオリは黒服の中から這い出る。
「なんですかさっきの…。」
 あれほどの黒服を一瞬にして倒してしまうとは。驚くよりも先に呆れて私は尋ねた。
「ああこれ?催眠薬の応用。塵状になったもん飛ばして、吸ったら三時間は寝ててくれんの。分量に限りがあるから、そんなしょっちゅうにはブチかませへんけどね~。他にも催涙弾って手もあったんやけど始末に悪いし、ワライダケも楽しいけど直接食わさなあかんし…。」
「も…もういいです…。」
広場で雑魚寝する羽目になった哀れな黒服達を後に、私達は奥へと進んで行った。
「全く俺まで吸ってしまうとこやってんで!そん時やられたらどーすんねん!」
イオリは少なからず自分に向けて発砲された事を怒っている。
「そんなに怒んなやーそん時はちゃんと治療したる(オキシドールの礼をしてやる)から~。」
 私はカッコ内の言葉が聞こえたような気がした。それはイオリも例外では無かったらしく、
「また麻酔無しで傷口縫う気か…。」
と青ざめていた。また、と言うことは以前もやられた事があったのだろう。行く手を阻む黒服達を蹴散らし、追手を返り討ちにし、給湯室に隠れて休憩し、そしてまた何だかんだ言いながら進む。
 そうしている内にとうとう社長達がいると思われる部屋の前まで辿りついた。見張りをしていた一人の黒服を気絶させると、イオリはその男から銃を無断拝借してカイに渡した。
「俺が付き添えるんはここまでや。」
 イオリはそう言うと、私とカイの肩に手を置いた。
「二十分間や。二十分何とかしてもたせてくれればええ。それまでに俺が〝あいつ〟をここに連れてこれば、こっちの勝ちや。」
 願うように私達にそう言うイオリを、カイは笑い飛ばした。
「何を深刻そーな顔してんの。ちょっとの間話すればええだけやん。」
 しばらくイオリは、心配そうに引き返すのを躊躇っていたが、意を決して側の窓を開け、そこから飛び出した。
「…俺らも行くか。」
 カイはその部屋のドアを開ける。私は、抱えた箱を強く抱きしめた。入った途端、私達はボディーガードの男に銃口を向けられた。
「…社長と組長だけやなかったんかい…まぁ側近はいて当たり前か。」
 舌打ちしながらもカイは中に入って行き、私もそれに続いた。部屋は思ったよりも狭く、バズーカ砲は使えない。テーブルを挟んで二人の恰幅のいい男性が向かい合い、そのうち私を見て青ざめている方が芹辻社長だろう。
「か…馨!?何故ここに…。」
「探していらしたんでしょう?」
 銃を突きつける黒服に、持って来た花束を勝手に渡して、カイは芹辻社長に向き直った。
「けれどもしばらくの間、記憶を無くして、訳の分からないまま追われてたんですよ。あまりにも周りが危険だらけになったので、こちらから出向かせて、決着をつけようと思いましてね。」
 相手は黙ったままだ、まだこちらの出方を窺っていた。が、もう一人の中年男性の方が――恐らく暴力団の組長の方が――言った。
「…四人で話すにはこの部屋は狭い。…外へ出よう。」
 私達はそう言われて外の庭へ出た。海がすぐそばで波の音を立てている。潮風は私のドレスの裾を揺らし、どこか冷たかった。町の光に押されて星の光は控えめだ。静かな夜景と夜空の下で波の音が聞こえる。…ふと私は気付いた。
(前にもこんなことがあったっけ…。)
 でも頭の奥底でくすぶって思い出せない。微かに頭痛の感覚が蘇る。ここで倒れては元も子もない。私は頭痛がこれ以上酷くならないことを祈った。
「しかし貴様が直接出てくるとはな、杜宮霞衣…。実物を見るのは初めてだが。」
 忌々しそうに組長はカイを睨みつける。カイはそれに愛想よく応じた。
「お見知り置き頂けて光栄です。」
 芹辻社長も同意する。
「我々経営者には有名だ。その若さに不釣合いな実力は国内より、むしろ海外で認められている。私も経営枠を広めるにあたり、色々と手痛い目に遭わされた。」
 潰される訳には行きませんからね~と笑うカイの後ろで、私は少しばかり驚いていた。これほど上流階級に顔の利く人物だとは思わなかったからだ。
「そしてそこの娘…散々我々を手こずらせたじゃじゃ馬が。」
 組長は私にも烈火のような視線を送ってきた。負けじと私も睨み返す。
「…どちらも前代未聞の難敵だ。…ある意味最凶の二人組みだ、我々にとっては。」
 組長は溜め息をつく。
「だが表沙汰にせず自分達だけで来たのは賢かったな。まあ表沙汰にしたところで今のお前達ではどうにも出来ないだろう。」
「…権力でもみ消せるってことですか。」
 なんて汚い、心の中で憎悪の炎が渦巻いた。
「小娘、記憶喪失だとか言ったな。」
 組長は懐から銃を取り出して私に向けた。カイは私を庇うようにして立ちはだかる。
「大人しく我々の密輸を忘れたままでいたなら、こちらも無駄な血を流す気はなかったのだがな。…またしても知り過ぎて葬られる運命のようだ。」
 銃の標準は私に合わさっている。カイは私を庇いながらも、横で複雑そうな顔をして立っている芹辻社長に言った。
「娘が殺されそうになってんのに、黙ってるんは随分な親父さんですね。やっぱ政略込みの養子ってのは本当やったらしい。」
「養子…?」
 私と社長は直接血縁関係はなかったのか。道理で、今まで私を黒服たちに追わせる事が出来たわけだ。
「こいつは実家の遺産全てを手に入れられるリオを生かして、連れて帰りたかったんよ。…けど〝焚鐘楼〟の使い方を忘れたリオは遺産を…。」
「ちょっと待って下さい!遺産を手に入れられるって…焚鐘楼は輪道寺家のものなんでしょう?」
 相続人は輪道字薫のはず…と、そこまで考えて気付いた。
「りんどうじかおる…まさか…。」
 同じ家の出身で名前も一緒なんて。普通では考えられないが…。
「その通りだ。」
 口を開いたのは芹辻社長だった。
「君は私の養子として芹辻家に来た。…今は芹辻馨だが…本名は輪道寺馨、大財閥・輪道寺家の一人娘だ。」
―――何ということだ。リンドウジカオルは二人いたのだ。
(始末屋が言っていたのはこの事だったのか。)
 一人はカイの友人・薫。もう一人は私こと馨。
 さらにカイが説明する。
「輪道寺家は東京を根城にする大財閥。そんな家柄やからこそ、闇の部分もある。…つまり親類同士が財産取り合って、ドロドロ環境やったんや。生まれた子供に仲良く集まって、名前付けるなんて状況やなかった…そしてその結果、二人のカオルができた。」
 話を聞いている間も、組長の銃は微動だにしなかった。スキを見ても逃げられそうにないな、と私は思った。
「けど数年後、女の子のカオルの母親が他界して、婿養子やった父親はどこかに蒸発してしまう。女の子のカオルは叔母夫婦の家、つまり男の子のカオルの家で育てられることになった。二人は仲良く、兄妹として育てられた。けど同じ名前やと紛らわしい。で、女の子はこう呼ばれるようになった―――リオと。」
 それでジャケットのイニシャルは〝Rio.R〟だったわけだ。私は改めて手元の箱を見つめた。
「だからそれはリオの物でもあるんよ。やっと本来の持ち主に返せるわ。」
 そう私に言うカイの横で、芹辻社長が肩を震わせて唸った。
「その事が今回のことと何の関係がある…!」
「…どんなに権力があろうと、どんな後ろ盾があろうと、輪道寺の者の一声でそれらは役に立たないということですよ。」
 芹辻社長はしばらく俯いていたが、顔を上げると、カイの眉間に銃を突き付けた。だがその手は震えている。
「取り乱しなさるな芹辻氏。」
 そんな芹辻社長を組長は制した。
「いくら輪道寺の者でも、はっきりとした記憶の無いこの小娘の証言は無効。薫ももうこの世にはおらん。」
「この世にはいない。」
 カイはその一言を聞き逃さなかった。
「薫の消息は現在〝行方不明〟で通っている。…なのに何故〝この世にはいない〟と言い切れるんですか?」
 組長は「しまった!」とでも言うような表情をして口をつぐむ。
「今のは〝薫を殺した〟ということですよね。」
 言いながらカイは時間を確認した。イオリが来るまであと少しだろうか。
「ちなみに今までの会話は全て、とある所で友人に録音してもらってますから。」
 にっこりと笑って、カイは腕時計に仕込まれた小型マイクを周囲に見せた。ガクガクと震える芹辻社長の横で、組長はそれこそ火の出るような憤怒の感情を露にしていた。そして突然、持っていた銃を空に向け発砲した。すると屋敷から黒服が十人ほど現れた。
「やはり貴様らには消えてもらうしかない無いようだ。」
 そう言って組長は低く笑った。
「芹辻氏。とりあえずこやつらを始末したら、あの焚鐘楼とかいうのは好きになされるとよい。」
「リオ、それ取られたらあかんで。」
カイは、イオリに渡された銃を出して言う。私は箱をきつく抱きしめて身構えた。銃や刃物を持って黒服たちはこちらへ突進してくる。
「動くな!」
 それを見てカイは素早く組長に銃口を向け、黒服たちを牽制した。
 そして私に言う。
「そのまま正面まで走るんや。もうすぐイオリが突っ込んでくるはずやから、必ず鉢合わせる…。」
 その時私は、カイの後ろで木刀を振りかざす黒服を見た。
「カイさん、後ろ!!」
 私がそう叫んだのと同時に、カイは振り向き、また木刀も振り下ろされた。カイはすんでの所で体をかわしたが、木刀はそのまま傷の部分を強打した。
「うがっ!」
 苦痛に呻き声を漏らし、カイは銃を取り落とす。それを見て、他の黒服達も一斉に私たちに向かってきた。カイはその木刀の二発目もかわし、近くにいた黒服二人ほどに毒針を打ち込んだ。
「早く行け!」
 カイの危機に立ち止まっていた私は、そう言われ我に返って走り出した。黒服達は、私に直接攻撃は仕掛けてこなかった。奴らの狙いは私の持つ焚鐘楼も含まれている。私を倒した時の衝撃で、それが壊れるのを恐れているのだろう。
 奴ら専ら私からそれを奪おうとした。だが、私がそれを奪われるということは、次の瞬間私も殺されることを意味する。絶対に奪われるわけにはいかなかった。それにしても、この感覚、どこかで覚えがある。
 波の音の聞こえる夜空の下で走る。
「うらぁっ!!」
「うわっ!」
 突如目の前に飛び出してきた黒服に驚いて、私は芝生の上に転んだ。箱も地面に落ちる。すぐに拾い上げようとしたが、黒服は今にも私目掛けてナイフを振り降ろそうとした。が、
―――チュインッ!
 聞き覚えのある静かな銃声と同時に、黒服は足を撃たれ倒れた。
(始末屋!?)
 迫ってきた黒服達も順に肩や足を打ち抜かれて倒れる。私はその隙に箱を拾い上げ再び走り出した。
(さっきのは援護と見ていいのかな?)

* **

 それにしても広い庭だ。散々走った後、やっと正面の庭へ出た。裏庭から屋敷の周りを走って来たわけだから、かなりの距離だ。反対側から、うまく逃げおおせたらしいカイが姿を見せた。
「リオ~生き残った?」
「そちらこそ!」
 お互いボロボロだったが、無事に合流できた。だが、私たちはここに来ることを知って、先回りしていた黒服が門の前で待ち構えている。組長達も私たちに追いついた。
「いつまでも往生際の悪い奴らめ…今すぐ亡き友の後を追わせてやる!」
「亡き友か…。」
 カイは静かに呟く。
 黒服達が一斉に銃を構えたその時、
「どけェェェ―――ッ!」
 門を突破して、あの赤いスポーツが飛び込んできた。車は庭を一周し、近くにいたものはたまらず散り散りになった。私は、車の中にイオリと誰かもう一人がいるを認めた。
 あれは誰だったろうか、どこかで見覚えがある。芹辻社長はその車内の人物を見て驚愕した。
「あれは…!そんな馬鹿な!!」
 組長も黒服達もそちらに注意を向ける。今だとばかりに私達は車へと走った。だが、
「逃がすか!」
 辿り着く直前に一人の黒服が銃を向けた。銃が火を噴く。その黒服から背を向けて走っていた私に、それを回避する術はない。もう駄目だ、撃たれる…!そう思った次の瞬間だった。
「伏せろリオ!」
 カイは私を庇うようにして発砲した黒服の前に飛び出した。振り向いた私の視界にあるものは、銃を持つ黒服と、それに重なるカイの背中。
 そのまま銃は発砲され――私を庇った背中が崩れ落ちる。そのままカイは倒れた。

(…嘘だ。)

 カイが撃たれた。
 
 私を庇って死んだ。〝あの時〟と同じように、――そう思った瞬間、目の前の光景があのビジョンと重なった。――私を庇って撃たれた誰か。
 その直後にザブンという水音。その水音と波の音が交錯する。そして私は今までに無く激しい頭痛に襲われた。頭が割れるくらいの痛みを伴い、私の時計の針は猛スピードで逆回転を始め、〝あの時〟へと巻き戻った…。

   ***

  ――逃げなければ。
 暗い夜道を走る私。高台で待ち合わせたのに彼は来ない。追手がいつ来るか分からないため、一つの所に留まるのは危険だ。こちらから港に行ってみよう。何かの理由で、彼は動けないのかもしれない。…今の私を見て、彼は私だと気付いてくれるだろうか。追手を迷わせるために、長かった髪は切り、服も男物。でもこのジャケットは、以前からのお気に入りだ。
 港で彼を探す。船はもう着いている。ここには来ているはずだ。海沿いを探すと、彼の姿があった。だが彼一人ではなかった。彼もまた黒服達に襲われていた。彼は私に気付いて言う。
「リオ!?…何故来た!待ってろと言っただろう!」
 黒服達は彼もマークしていたのか。それとも、私が彼に助けを求めたのがばれたのか。彼は私を庇いながら倉庫群に身を隠した。そこで運良く漁師を発見した。
「こうなったら最終手段だ。」
 彼は漁師に金と住所を書いた紙を渡して言った。
「この子をすぐ、その住所の家まで連れていってやってくれ。その事は誰にも言わないで。」
 そして私にも言った。
「そこの館には俺の親友がいる。助けてくれるはずだ。そいつの力を借りて真実を伝えるんだ。」
 漁師の軽トラックに乗り込む直前、私達は黒服に見つかった。黒服に最初に気付いたのは彼。船着場で私が撃たれそうになった時、私を庇って代わりに撃たれたのだ。一発目は腕を掠り、二発目で腹部に弾が食い込んだ。
「逃げろリオ!」
 最後に聞いた言葉はそれだった。そして彼はそのまま海に突き落とされた。水音が辺りに響く。軽トラックは私を乗せて走り出す。その荷台で、その光景を目の当たりにした私は、ショックで気を失う前に彼の名を叫んだ。
「薫――――!ッッ!」

   ***
 
 ――そして今の私と重なる。全てを思い出した。私はあの時自ら記憶を手放したのだ。永い時が経った様に思われたが、実際は一瞬だったらしい。
「薫が…私のせいで…。」
 私はその場にガクンと膝をついた。組長は動かないカイの手前まで来て、私に銃口を向けた。目の前が真っ暗になる。
 だめだ、全て終わりだ――そう思った時、後ろで懐かしい声が響いた。
「リオ!俺はここだ!!」
 再び暗黒へ記憶を封じようとした私は、我に返る。組長の声の方に気を取られ、一瞬銃口が私から反れる。その瞬間だった。うつ伏せに倒れていたカイが仰向けに転がるのと同時に、組長に毒針を打ち込んだ。…組長の手から銃は落ち、同時にカイは何事も無かったように起きあがった。
「あーあ…穴あいたわ…。遅かったな薫。」
 声のほうにいた人物は、紛れも無い―――
「か、薫…生きて…!?」
 私の兄とも言える輪道寺薫、その人だった。
「どういうことですか?あの時撃たれて海に…。」
「その様子だと、全て思い出したみたいだな。お前の作戦当たったぞカイ。」
「もうこりごりや。防弾着下に着てても衝撃はあったで。マジで死ぬかと思た。」
 カイは撃たれた所をさする。そして呆然とする私に説明した。
「イオリが病院でコイツ見つけてん。連絡取れへんかっただけで、コイツは生きてたんや。」
「しばらくは意識不明だったからな。」
 薫は少し恥ずかしそうに笑った。
「で、カイの作戦でリオの記憶を、取り戻そうとしてみたんだ。あの時と同じ条件を組み合わせて、フラッシュバックさせるようにね。」
「…さ…作戦!?カイさんが撃たれたことも!?」
 ふざけるな。どれだけ心配したかと思っている。そう思い切りカイに言いたい所だが、それは薫にも言える。だが二人共本当に生きていて良かった。
「めでたく成功や!録音取れてるし、薫も生きてたし、リオちゃんの記憶戻ったし!俺らの全面勝利!!」
 イオリは勝ち誇った表情で、動けない組長と、正面玄関で震える社長に言った。
「と、ゆーことや社長組長。もうお前らに逃げ道は無いっちゅーこっちゃ。」
 カイも二人に言う。
「ま、後日の沙汰を楽しみに、それまでせいぜいシャバでの生活を満喫してください。」
「おのれェ…!」
 組長は悔しさに打ち震えながらも、薬が効いて立ち上がれない。とうとうがっくりと頭を垂れた。社長も諦めてその場にへたり込んだ。
「…じゃ、帰ろーか。」
 だがそれは叶わなかった。…何とそれと同時に、パトカーの群れが庭に流れ込んで来たのである。サイレンを鳴らしながら屋敷を取り囲み、驚く私達のそばにも覆面パトカーが一台止まった。
「…後日の沙汰じゃなかったんですか?」
「…いや…別にまだ何も知らせてへんけど…。」
 そしてその覆面パトカーから出てきた人物を見て、私達は更に驚く。
「さーっすが!全部綺麗に片付いてんな。柊ク~ン俺らまた楽できるぜ。」
「だから一般人にこーゆー事やらすなっつったろーが!!」
 一人は茶色のトレンチでいかにも刑事と言った感じの人物だったが、もう一人は―――
「あの時の黒ずくめ―――!?」
 港で私に話しかけ、イオリの大立ち回りに出現し、庭でカイの暗部を吹きこんだ、あの黒ずくめの男だったのだ。
「よォ諸君!ご苦労だった。」
 驚く私達に黒ずくめは声をかけた。
「け、刑事だったなんて…。」
 驚きを隠せない私に、もう一人の刑事が言う。
「すいません馨さん…いやリオさんと言った方がいいのかな。本来ならもと早くに真相をお知らせすべきだったんですが…。」
「ちょっと陰で利用させてもらった。このヤマについては、俺達も上から圧力かけられて大きく動けなかった。外部からの力を借りるしかなかったんでね。」
 そういいながら黒ずくめは、警察手帳を私達に見せた。
―――警視庁捜査一課・黒檀燎。
「確かに警察やな…。」
 未だに信じられないと言った顔で、カイは手帳を見つめた。
「こっちは相方の柊三太。」
 もうひとりも手帳を見せる。黒服達は倒れている者もそうでない者も、次々と連行されていく。それを見ながら黒い刑事は言った。
「…にしても今回は色々とややこしー事件だったぜ。最初、一ヶ月ちょっと前に一人の少女から、ブラン・シャトーについて告発があったがもみ消され、しばらくして神戸で殺人事件通報があったが闇に葬られ…全て繋がってたんだな。結果としてこんなデカイ組織が狩れた。しつこく追い続けた甲斐があったぜ。」
私を軽トラで運んだ漁師は、私をカイの館の茂みに隠すのが精一杯だったようだが、後に薫のことを知らせてくれたらしい。カイも唖然として言う。
「…組織の幹部やなかったん?」
 黒檀はそれを笑い飛ばした。
「そりゃお前らの思い込みだよ。まぁお前らがちゃんと動くようにソレっぽく振舞ったけど。」
「じゃあ、何で私がカイさんを疑うように仕向けたんですか!」
 アレは事件とは関係無い。私を不安にさせただけではないか。
「いや~俺が疑ってたのよ正直言うと。〝カイさん〟っつーのは謎の人物だったからさぁ。ま、結果としてシロだったわ。ゴメンネ~色々と使っちゃって。」
「結局俺らコイツに踊らされてただけやないか――っ!」
 ああもう力抜けるわ~と、イオリは肩を落とす。その横でカイが呟いた。
「まさか…あんたが〝待伏せの黒〟か?一度狙ったホシは執念深く追い続けて必ず検挙するとか言う…。」
「黒猫刑事(デカ❤)とも呼ばれてる。」
 黒檀は自慢気に肯定した。その頭を柊がはたく。
「まだ俺達の仕事は残ってるぞ。邸宅の捜査に密輸について三課に報告、あと雇われた始末屋・ルーサー=ルベライトも捕まえなきゃな。」
 そ~でしたねぇと黒檀は柊にガンを飛ばし、そしてカイとイオリに向き直った。
「ま、利用したのは悪かったがあんたらも、後日署に出頭願うぜ。杜宮霞衣に槙野伊織。そりゃこんだけやらかしてくれたんだからな。」
「あんまりや~別に今まで法に触れる事はせんかったんやけどな…多分。」
「まぁ薄々いつかこーなるとは思ってけど。」
 確かに、どちらも過去にさりげなく前科がありそうだ。今なら、私でもそう言える。嘆く二人に背を向け歩き出した黒檀は、ふと足を止め振り返らずに言った。
「感謝状が出るかも知れないよ。」
 じゃあな、またどこか出会おう。そう手を振って黒檀はまた歩き出だした。カイとイオリは暫くきょとんとして、その後姿を見送っていたが、すぐその言葉の意味を受け取り、手を取り合ってお互いの無事を喜び合った。
 そしてその目に前を連行されていく男がいた。
「私はっ…私はただ会社を大きくしたかっただけなんだ!!」
「言い訳は署で聞こうか。」
 芹辻社長だ。なんてみじめな姿だろう。もはや憐憫に近い思いでその姿を見る私に、カイは言った。
「…今のうちに何か言うたったら?養子ってことは事実やけど、一応血の繋がった親父さんや。」
「血の繋がった?…私は養子なんでしょう?」
 養子は養子なんやけど、とカイは続けた。
「リオん家で、母ちゃんが他界した後父ちゃんが消えたって話は聞いたと思う。…その父ちゃんがあいつなんよ。九年前輪道寺家から出て行って、ずっと会社作ってたんやってさ。」
「じゃあ…社長は本当のお父さん…。」
 そうなら、九年前の写真しか持っていなかった事も説明がつく。
 社長は私の目の前まで連行されてくると、実に情けない顔で「すまん」と頭を下げた。私も、色々と言いたい事はあったが、結局何も言えず、再び連行されていく父の姿を見送った。カイは私に問いかける。
「…良かったん?」
「刑期を終えたら…一気に色々言おうと思います。」
 薫とは違い、父との再会は少々苦いものだった。私は複雑な笑顔でカイを見上げた。
「人間は心の弱い生き物やからなァ…欲が入れば汚くもなる。」
 逮捕した人々を乗せた車が遠ざかるのを見てイオリは言った。
「けどあの社長、リオが焚鐘楼の記憶無くして役に立たんと知っても、始末屋に守らせ続けたんやって…なぁルーサーなんとか。」
 イオリは庭の木のほうを向いた。私もそちらを向く。
「おるんやろ?そこに。」
 すると木の影から、始末屋が姿を現した。微笑む私達を見て、仏頂面で、だが照れくさそうに目をそらした。カイも始末屋に言う。
「お前がいてくれて助かった。リオだけやなく俺の事も援護してくれたやろ。」
「…死人が出るのはもうこりごりだからな。」
 それだけ言って始末屋は私達に背を向けた。このまま行ってしまうのは寂しい気がして、私は呼び止めた。
「これからどうするんですか?やっぱり始末屋続けます?」
「…始末屋からは足を洗う。しばらく平和に暮らせるアテを探す。お前達とはもう会うことはないだろう。だが――。」
 始末屋はこちらを向き、その表情は少し柔らかかった。
「…最後の仕事がこれで良かった。守るのがお前達でよかった。…お前達に出会えて良かったよ。」
 始末屋はそう言うと、木陰に止めてあったバイクに乗り、神戸の町へと姿を消した。暫く夜風に吹かれ、私はポツリと言った。
「…私は弱い…。」
 三人は驚いたように私を見る。イオリは慌てて否定した。
「どこがー!?リオちゃんめっちゃ強いやん。腕も立つし心かて…。」
「でも、私が弱かったせいで、ここまで事件は大きくなってしまって…。」
 密輸のことを知った時、薫の助けを借りることしかできなかった。現実を受け入れられず、自ら記憶を手放した。
「結局、逃げることしか出来てなかった。私は弱い…だから強くなりたい。」
 私は箱の焚鐘楼をきつく抱きしめた。そんな私にカイは言った。
「確かに、リオはそれほど強くない。けど思ってるほど弱くもない。…だってリオは奴らに一度も屈せへんかったやろ。」
「カイさん…。」
 その言葉に私は目頭が熱くなった。そして今まで思い出が蘇る。
――たった一ヶ月の内の出来事とは思えない。私がカイと出会い、黒檀に発見され、イオリに黒服から護られ、カイへの不信に揺れた日も――――
 全てが濃密で且つ素晴らしい一ヶ月だった。
 私は、支えてくれた人達に改めて言った。
「皆さん本当にありがとうございました!」

   ***

――――エピローグ――――
 記憶は綺麗に戻り、私は焚鐘楼の使い方もしっかり思い出した。内ぶたの上に花の焚鐘楼を乗せ、外ぶたと挟むようにセットして、中の炭に火をつければ、花そのものの香りを再現できるのだ。ただ、使う花の条件が細かく、その辺は秘伝である。
こうして私は無事輪道寺家の家督を継ぐこととなった。香炉の使い方を知っているのは私と薫だけだったのだが、薫は会社の方に力を入れたいとのこと。本来、焚鐘楼を隠す為に始めた骨董商だったが、いつの間にかそれが本業となってしまったようだ。
 そして輪道寺家当主となったといえども、私はやはり女子高生だ。一ヶ月前に入るはずだった関西の学校に転入し、今では遅れを取り戻すべく勉強する日々である。
 家は三宮で薫と同居することとなった。イオリとは通学途中に時々会ったりする。その時にあの時の話をしたりするのだが、相変わらず事件を追って駆け回っているようだ。その話になるたび、私はカイのことを思い出す。あれからどうしているのだろうか。
 焚鐘楼は無事に護り切れた。カイがあの館に縛られる必要はもう無い。今はもう、あの館にはいないかもしれない。そう思いつつも、後日私はあの館を訪ねた。インターホンを鳴らしても返事は無かった。
(やっぱり、もうどこかへ行ってしまったのかな。)
 本当は単に留守なだけかもしれないが、何故か先にそんな思いがよぎった。何しろ前から自由に憧れているようだったから。
 私は中に入って夕日に輝く庭を眺めた。あの時と同じ黄昏の園。この景色を目に焼き付けようと、私は緑の中に一人たたずんだ。すると奥の方で誰かの気配を感じた。私がそちらに目を向けると――花壇に腰掛け木に寄りかかってまどろむ男が一人。
「――カイさん…。」
 カイは私に気付いて目を開ける。そして、いつもと同じように、のほほんと言った。
「おかえり、リオ」
                      Fin.
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